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コレクション: 愛知県豊橋市関連資料

三河国古跡考 - 翻刻

三河国古跡考 - ページ 21

ページ: 21

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【右丁】 【行頭の〇は朱書き】  〇これら皆。今の街道の道を往(ユキ)かひせし趣(サマ)也。されど古 ̄ヘ は小坂井より吉田迄の   間は。一つらの入海にて。しかすかの渡といへる舟渡のさまなれば。   〇小坂井より吉田の関屋といふ処へわたせし共。また牟呂村なる坂津といふ    処まて渡せしともいひ伝【傳】へたり。此事は古哥名蹟考【「古哥名蹟考」を朱で四角く囲んでいる】志加須賀 ̄ノ条にいヘリ。 〇今も今切桑名の渡などは。貴人(ウマビト)たちはよけ給ふ如く。そを除(ヨキ)て。北の方に  廻(マハ)りて。豊川 ̄ノ宿へかゝりて。往かひせりしを。其後入海もつぎ〳〵新(ニヒ)はりの田と  なりて。渡りもせばく。かれこれ便宜(タヅキ)よければ。仁治道の記にいへる如く。  彼方(カナタ)は往(ユキ)がふ人少(スク)なく。此方(コナタ)を通ふ人は。つぎ〳〵多くなれるを。まして  元亀元年の頃。かの関屋の舟渡を廃(ヤメ)て。始て吉田川に土橋を架(カケ)てより。  猶たづきよければ。つひに東(アヅマ)路の本街道とはなれるなるへし。すべて  駅(ウマヤ)の事は古蹟雑考【「古蹟雑考」を朱で四角く囲んでいる】の宿駅の条にいへれど。こゝには。其大 旨(ムネ)をいふのみ也。 〇さて国司の住(スミ)たまひし舘(ミタチ)は何処(イツコ)に在りしにや。詳(サダカ)ならず。今の国-府には其 ̄ノ旧(ア) 【左丁】  跡(ト)と思ふ処なしといへり。故(カレ)按ふるに今 八幡(ヤハタ)村の内字は上宿といふ処に《割書:西明寺の|門前より。》  《割書:少し北の方■【修ヵ】験何がし|の北の方にあり。》舟山(フナヤマ)といふがあり。舟 ̄ノ形に築(ツキ)なしたる如き小山なり。これ  三河 ̄ノ守大江 ̄ノ定基の造られし築(ツキ)山也といひ伝【傳】へたれは。《割書:又久保村ノ庄号ヲ|大江庄トイヘリトゾ。》いかさまにも  其 ̄ノ辺に在りしなるべし。《割書:刪補松には。往古大江 ̄ノ定基。三州 ̄ノ刺史タルトキ。|愛妾カ哥ガ■ヲ以テ造レリトイヘリ。》平尾 ̄ニ住ス。財賀 ̄ノ文殊■ 〇類聚三代格《割書:七ノ》弘仁五年【右横に一千十九年と朱書き】六月戊戌。大政官 ̄ノ府【符】。禁-_二制 ̄スル国-司任 ̄テ_レ意 ̄ニ造 ̄ルコトヲ_一_レ館 ̄ヲ  事。右大政官 去 ̄ヌル四月廿六日。下 ̄ス_二 五畿内 ̄ノ諸国 ̄ニ_一府【符】 ̄ニ你 ̄ク。【意味不明】検 ̄ルニ_二 天平十年五月廿八日 ̄ノ  格 ̄ク_一伱 ̄ノ。国司任 ̄テ_レ意 ̄ニ改 ̄メ_二造 ̄リ館舎 ̄ヲ_一。儻(モシ)有 ̄レハ_二 一人病死 ̄スルコト_一諱 ̄ミ悪 ̄シテ不_二肯 ̄テ居住 ̄セ_一。自_レ今以後  不_レ得_レ除 ̄ク_下載_二国 ̄ノ図進上_上之外 ̄ハ輒 ̄チ擅 ̄マヽニ移 ̄シ造《割書:ルナリ|甲》。但随 ̄テ_レ壊 ̄ニ修理 ̄セシ耳者 ̄ト云リ。而 ̄ニ諸国之吏未_レ有_二  循 ̄ヤ行 ̄フコト_一。妄 ̄ニ称 ̄シ_二祟咎 ̄ト_一避 ̄ケ遷 ̄シテ無 ̄ク_レ定 ̄ルコト。或輒随_二情願_一改 ̄メ造 ̄ルコト弥々繁 ̄シ。百姓 ̄ノ労櫌莫_レ不 ̄ルコト_レ由_レ此 ̄ニ。今被 ̄ルニ_二右大臣 ̄ノ宣 ̄ヲ_一你 ̄リ。奉 ̄ル_レ勅 ̄ヲ宣 ̄ク_二更 ̄ニ下知 ̄シテ令 ̄ム_一_レ慎 ̄マ将来 ̄ヲ_一。自_レ今以後国-司  之館 ̄ハ附 ̄ケテ_二官舎帳。_一毎年令 ̄メテ_レ進 ̄セ。随 ̄テ_レ破 ̄ニ修理 ̄スルコト一 ̄ヲ依 ̄ル_二先格 ̄ニ_一若 ̄シ有 ̄テ_レ廃 ̄ルコト_二其本-館 ̄ヲ_一  更営 ̄シテ_二他処 ̄ニ_一乃増- ̄シ_二構 ̄ヘ屋宇 ̄ヲ_一令 ̄ル_レ致 ̄サ_二民 ̄ノ患 ̄ヲ_一者 ̄ハ科 ̄セン_二違勅罪 ̄ヲ_一。官僚而 ̄テ不_レ糾 ̄サ並 ̄ニ              和考 十六 【左丁 頭注 朱書き】 佐埜知尭三川国聞 書■【「伝」?】モノニ寛知【和カ】二年 国司大江定基云々 定基 ̄ノ館舎 ̄ハ住国府 ̄ノ 辺《割書:今八幡村ノ古|城旧跡也》トアリ