翻刻
【右丁】
清澄寺(きよすみてら)の閼伽井(あかゐ)にありて七百/有餘歳(いうよさい)を歴(へ)たり今(いま)此(この)
地(ち)の有縁(うえん)によりて彼所(かのところ)より移(うつ)れり汝(なんち)堂宇(たうう)を営(いとな)むて我(わか)
像(さう)を安置(あんち)せよ必(かならす)子孫(しそん)をして幸福(かうふく)あらしめんとなり
依(よつ)て直(すく)に當寺(たうし)を開創(かいさう)して此(この)霊像(れいさう)を安(あん)し奉(たてまつ)るといふ
《割書:光善(みつよし)の遠孫(ゑんそん)此地(このち)に|ありて今猶(いまなほ)連綿(れんめん)たり》
洲崎明神(すさきみやうしん)祠 海道(かいたう)の右側(みきかは)にあり普門寺(ふもんし)別當(へつたう)たり安房(あはの)
國(くに)洲崎明神(すさきみやうしん)に同(おな)しき歟(か)房総志料(はうさうしれう)に天比理乃咩(あまひりのめの)
命(みこと)を祭(まつ)ると源平盛衰記(けんへいせいすゐき)に洲崎明神(すさきみやうしん)は八幡大菩薩(はちまんたいほさつ)
を祝(いはひ)奉(たてまつ)るとあれは両説(りやうせつ)を挙(あけ)て疑(うたかひ)を存(そん)す
熊野権現(くまのこんけん)社 神奈川(かなかは)本宿町(ほんしゆくまち)海道(かいたう)より右(みき)にあり別當(へつたう)は
金蔵院(こんさうゐん)東曼陀羅寺(とうまんたらし)と号(かう)す新義真言宗(しんきのしんこんしう)也《割書:當社(たうしや)昔(むかし)は|権現山(こんけんさん)の》
《割書:頂(いたゝき)に勧請(くわんしやう)ありしをこの地(ち)へ移(うつ)しまゐらせたりといふされと|旧地(きうち)権現山(こんけんさん)の頂(いたゝき)にも猶(なほ)熊野権現(くまのこんけん)の草祠(さうし)を再(さい)せり》
滝(たき)の橋(はし) 本宿(ほんしゆく)西(にし)の町(まち)と滝(たき)の町(まち)との間(あひた)海道(かいたう)を横(よこ)きり流(なか)るゝ
【左丁】
川(かは)に架(わた)す此(この)橋下(はしのした)の流(なか)れを滝(たき)の川(かは)と号(なつ)く故(ゆゑ)にしかり水源(みなかみ)は
七八町/西(にし)の方(かた)堰村(せきむら)と云(いふ)より発(はつ)する所(ところ)の流(なかれ)なり
橋本(はしもと)宗興寺(そうこうし) 橋(はし)より向(むか)ふの川添(かはそひ)半町はかり西(にし)の方(かた)道(みち)より
左(ひたり)にあり曹洞(さうとう)の禅宗(せんしう)にして同所(とふしよ)本覚寺(ほんかくし)に属(そく)せり
本尊(ほんそん)釋迦如来(しやかによらい)は定朝(ちやうてう)の作(さく)にして一尺はかりの座像(ささう)なり
《割書:此(この)本尊(ほんそん)古(いにしへ)は山上(さんしやう)観音堂(くわんおんたう)五層(こそうの)|塔(たふ)の本尊(ほんそん)にてありしとなり》堂前(たうせん)の清泉(せいせん)は寛永年間(くわんえいねんかん)
大将軍家(たいしやうくんけ)御上洛(こしやうらく)の時(とき)此地(このち)本宿(ほんしゆく)に御旅館(こりよくわん)を儲(まうけ)させられ
し頃(ころ)御/茶(ちや)の水(みつ)に掬(きく)せられしと云
観音山(くわんおんさん) 山頂(さんてう)に観音堂(くわんおんたう)あり故(ゆゑ)に山(やま)の号(かう)とせり宗興寺(そうこうし)より
令(れい)する所(ところ)にして石磴(せきとう)聳立(しうりふ)して寺(てら)の総門(さうもん)の正中(せいちゆう)に對(たい)す
本尊(ほんそん)正観音(しやうくわんおん)の像(さう)は毘首羯摩天(ひしゆかつまてん)の作(さく)にして五寸九分
あり昔(むかし)焼亡(しやうほう)によりてその旧記(きうき)を失(うしな)ひぬ今(いま)其(その)来由(らいゆ)をしら
すといふ
現代語訳
【右丁】
清澄寺の閼伽井にあって七百余年を経た。今この地の因縁によってその場所から移った。汝は堂宇を建てて我が像を安置せよ。必ず子孫を幸福にさせようということである。
そこで直ちに当寺を開創してこの霊像を安置したという。
《光善の遠孫がこの地にあって、今もなお連綿と続いている》
洲崎明神祠 海道の右側にあり、普門寺が別当である。安房国の洲崎明神と同じであろうか。房総志料には天比理乃咩命を祭ると記され、源平盛衰記には洲崎明神は八幡大菩薩を祝い奉るとあるので、両説を挙げて疑問を残す。
熊野権現社 神奈川本宿町の海道より右にあり、別当は金蔵院東曼陀羅寺と号する新義真言宗である。《当社は昔は権現山の頂上に勧請されていたのをこの地へ移し奉ったという。しかし旧地の権現山の頂上にもなお熊野権現の草祠が再建されている》
滝の橋 本宿西の町と滝の町との間で海道を横切って流れる
【左丁】
川に架かる。この橋の下の流れを滝の川と号するのでそう名付けられた。水源は七八町西の方の堰村というところから発する流れである。
橋本宗興寺 橋から向こうの川沿い半町ほど西の方、道より左にある。曹洞禅宗で同所の本覚寺に属する。
本尊の釈迦如来は定朝の作で一尺ほどの座像である。
《この本尊は古くは山上の観音堂五層塔の本尊であったという》堂前の清泉は寛永年間、大将軍家が上洛の時、この地の本宿に御旅館を設けられた頃、お茶の水に汲まれたという。
観音山 山頂に観音堂があるので山の名前とした。宗興寺が管理するところで、石段が聳え立って寺の総門の正中に対している。
本尊の正観音の像は毘首羯摩天の作で五寸九分ある。昔、焼失によってその旧記を失った。今その来歴を知らないという。
英語訳
【Right page】
It was located at the holy water well (akagai) of Kiyosumi Temple for over seven hundred years. Now, due to the spiritual connection with this land, it moved from that place. "Build a temple hall and enshrine my statue. I will surely bring happiness to your descendants."
Therefore, this temple was immediately established and this sacred statue was enshrined.
《The distant descendants of Mitsuyoshi remain in this land and continue unbroken to this day》
Susaki Myōjin Shrine Located on the right side of the highway, with Fumon Temple serving as its bettō (temple administrator). It may be the same as Susaki Myōjin in Awa Province. According to Bōsō Shiryō, it enshrines the deity Amahiri-no-me-no-mikoto, while the Genpei Seisuiki states that Susaki Myōjin venerates Hachiman Daibosatsu, so both theories are presented with doubt remaining.
Kumano Gongen Shrine Located to the right of the highway in Kanagawa Honshuku-machi. Its bettō is Konzō-in, called Tō Mandara Temple, of the Shingi Shingon sect. 《This shrine was formerly established on the peak of Gongen-yama but was moved to this location. However, a humble shrine to Kumano Gongen was rebuilt on the original site atop Gongen-yama》
Taki Bridge Between Honshuku West Town and Taki Town, crossing the highway where the river flows
【Left page】
It spans the river. The stream below this bridge is called Taki River, hence the name. The water source originates from a stream flowing from a place called Seki Village, seven or eight chō to the west.
Hashimoto Sōkō Temple Located about half a chō west from the bridge along the opposite riverbank, on the left side of the road. It belongs to the Sōtō Zen sect and is affiliated with Hongaku Temple in the same area.
The principal Buddha, Shakyamuni Tathāgata, is a work by Jōchō, a seated statue about one shaku tall.
《This principal Buddha was formerly the main deity of the five-story pagoda at the Kannon Hall on the mountaintop》The clear spring in front of the hall was used for tea water when the Shogun established his lodgings at Honshuku during his journey to Kyoto in the Kan'ei era.
Kannon-yama (Mount Kannon) Named so because there is a Kannon Hall at the mountain peak. It is managed by Sōkō Temple, with stone steps rising up directly facing the center of the temple's main gate.
The statue of the principal deity, Shō-Kannon, is said to be the work of Vishvakarma and measures five sun and nine bu. Long ago, its historical records were lost in a fire. Its origins are now unknown.