翻刻
【左側上段】
電信は断絶せられ。海上(かいじやう)は激波怒濤の為に航海(かうかい)を絶ち。如何と
もする能はざりしが。頓て激浪(げきらう)の静まるを待ちて。汽船木津川
丸を発(はつ)し。今治に、西条に、尾道に人を派して。毛布、着類、
米穀其他の食品等有らん限(かぎ)りを購求せしめ。一方四阪島に汽船(きせん)
を出して。工夫(こうふ)四百余名を呼寄(よびよ)せ。第一着に道路の復旧を図ら
しめ。一面幾多の人夫(にんぷ)をして。毛布食品を背負(せを)はしめ。急行別
子に赴(おもむ)かしめぬ。
▲住友家の汽船借入 従来別子鉱山の銅運搬を主とし。其他供
用の為夫の住友家(すみともけ)の所有汽船木津川丸 (鉄装登簿八十二頓)は新
居浜より尾道に達し。山陽鉄道に連絡しありし処同船は定期検
査に際し。使用すべからざるを以て代用として尾道(をのみち)の土屋清三
郎氏所有の朝陽丸 (登簿八十九頓)を住友家へ借入(かりい)れ。大阪港を
抜錨(ばつへう)し別子より被害(ひがい)の為注文ありし需用品を搭載し。発航せし
めたり。
▲住友家の部署と其混雑 災害以来住友家の混雑を極むるは。
筆紙(ひつし)の及ぶべき所にあらず。今其部署を記せば。総支配人伊庭
貞剛氏は新居浜支店に在り。杉浦副支配人、各課長以下店員及
本店より来(きた)れる草野永元氏等をして。其事(そのこと)に当らしめ。鉱山に
在ては鈴木支配人小池副支配人以下を指揮し。寝食を忘れて執
務せり。尚鉱山には河上本店支配人の滞在せるあり。端出場、
石が山丈、角石原の諸駅(しょえき)及び山根臨時停車場に於ける。食品並
に必要品(ひつえうひん)遞送集散の状一見戦場に異ならずと。
▲死傷者手当 変災後(へんさいご)第一着に。新居浜病院長岩崎医学士は。
同所の医師平野孝道氏と共(とも)に登山(とうざん)し。尚西条よりも医師(いし)を登山(とうざん)
せしめたりと。
▲赤十字社の救護員 愛媛県赤十字社支部の救護応援の為め。
同社大阪支部の五條書記は。看護人九名を引連れて。新居浜に
【左側下段】
出張したりと。
▲救護団 夫(か)の大阪(おおさか)陸軍軍医(りくぐん〳〵い)学会(がくゝわい)より。救護団を派遣したり。
其の衛生材料は。戦時(せんじ)に於ける野戦病院の半数(はんすう)を標準としたる
よし。又林軍医正以下十名の外|衛成(ゑいじゆ)病院(びやうゐん)よりは。調剤手一名加
はり居り救護団は都合十一名なりしと。
▲負傷者収容所 死者(ししゃ)多(おほ)かりし割合に少きは負傷者(ふしやうしや)なり。最初
百名に近(ちか)かりしやに聞(き)きしに。実僅かに十九名にして。重傷者
少く。其(その)収容所(しうようしよ)は鉱山足谷学校を以て之に充てたる由。
▲電報の輻湊 災害(さいがい)当日より日々到着せる見舞(みまひ)電報の数。日に
幾千百。住友家に於(おい)ては。其煩雑の中にも拘はらす。一々之に
対して答電(たうでん)を発し。殊に災害に関(くわん)する報告的発電のみにても。
其数一日数十百に下らさるへしと。
▲鉱山の野宿 外来者(ぐわいらいしや)にして鉱山に至らば。食するに物なく寝
ぬるに処なし。只災害を蒙(かふむ)らざりし一の新座敷 (接待館)あり
て。同家(どうけ)関係(くわんけい)の人々及特別の事情あるものは。此に宿泊(しゅくはく)を請ふ
を得へけれと。人数(にんず)多(おほ)く常に尺余の空隙(くうげき)だに剰さざりしと。
▲災害と保険 鉱山に従事(じゆうじ)する技師、技手、事務員及び工夫中
の重なるは。大概日本、明治両生命保会険社の被保人(ひほにん)となり居
り。日本生命のみにても二百名以上あり。其の金額は四万余円
に達せしと。
▲住友吉左衛門氏 銅山被害地を視察(しさつ)し。死者の遺族及び負傷
者を慰問して帰阪の途に就きたり。
▲住友家の別子近村救助 住友家にては。別子鉱山近傍村落罹
災者へ吉左衛門氏の名を以て左の如く金品を寄贈せり。
新居郡角野村 家屋流失又は戸主を失ひたる不幸者五十五人
白米二十石、金五百円
同 金子村 八十人、白米十石、金二百五十円
同 中 藪 十一人、白米一石二斗、金三十円