翻刻
【右丁】
《割書:鏡(かゝみ)を存(そん)せり師(し)是(これ)を奇(き)とし其鐘(そのかね)をも加(くは)へて終(つひ)に洪鐘(こうしやう)成就(しやうしゆ)す依(よつて)其證(そのしよう)として夢(ゆめ)に|見(み)えし所(ところ)の龍女(りうによ)に宝光祐龍大姉(はうくわういうりようたいし)と法号(ほふかう)を授(あた)へられ鏡(かゝみ)の面(おもて)に其号(そのかう)を鐫(ちりは)ましむ》
楔地蔵尊(くさひちさうそん) 《割書:慈覚大師(しかくたいし)の作(さく)なりといふ當寺(たうし)九世(くせ)順誉(しゆんよ)上人 北總(ほくさう)行德(きやうとく)の海濱(かいひん)|湊村(みなとむら)の法傳寺(ほふてんし)にいませし頃(ころ)夢中(むちゆう)靈應(れいおう)によりて同所の海岸(かいかん)に》
《割書:して感得(かんとく)あり海岸(かいかん)楔(くさひ)ありて本尊(ほんそん)得(え)かたし|然(しかる)に其楔(そのくさひ)と思(おも)ひしは則(すなはち)此(この)本尊(ほんそん)なり故(ゆゑ)に名(な)とす》 百済稲荷(くらたいなり) 《割書:享保(きやうほ)の始(はしめ)和州(わしう)百済(くたら)|より縁山(えんさん)へ下向(けかう)の僧(そう)に》
《割書:託(たく)して此(この)梅窓精舎(はいさうしやうしや)に鎮座(ちんさ)ありて永(なか)く衆生(しゆしやう)を|度(と)せんとなり依(よつ)て一社(いつしや)に奉(ほう)すと云ふ》 拾櫻(ひろひさくら) 《割書:當寺(たうし)弟(たい)#1二世 峰誉(ほうよ)上人 門(もん)|前(せん)にして苗木(なゑのき)をひろひ手(て)》
《割書:親(つから)栽(うゑ)られしとて今(いま)堂前(たうぜん)に|存(そん)する所の垂枝櫻(したれさくら)是(これ)なり》 虚空藏堂(こくうさうたう)《割書:卵塔(らんたふ)の奥(おく)にあり本尊(ほんそん)は座像(ささう)にして|御丈(みたけ)二尺はかりあり當寺(たうし)順誉(しゆんよ)上人》
《割書:作(つく)られし|といふ》
青山(あをやま)海藏寺(かいさうし) 同所一町はかりを隔(へた)てゝ乾(いぬゐ)の横町(よこちやう)右側(みきかは)にあり黄(わう)
檗派(はくは)の禪宗(せんしう)にして始(はしめ)は海藏庵(かいさうあん)と号(かうし)て寛文(くわんふん)十一年 井伊矦(ゐいこう)夫(ふ)
人(しん)掃雲院殿(さううんゐんてん)の営建(えいこん)なり其頃(そのころ)銕眼禪師(てつけんせんし)をして此(この)草庵(さうあん)に
居(を)らしむ竟(つひ)に正德(しやうとく)三年に至(いた)り公許(こうきよ)を蒙(こうむ)り一宇(いちう)の蘭若(らんにや)とす
《割書:菊岡沾凉(きくをかせんりやう)云 開山(かいさん)|宝州和尚(ほうしうおしやう)と云々》 當寺(たうし)より唐板(たうはん)の一切経(いつさいきやう)を出(いた)す
熊野権現社(くまのこんけん ) 同所 東南(とうなん)の方三丁斗を隔(へたて)て原宿(はらしゆく)町にあり祭(まつ)る所(ところ)
南紀(なんき)の熊野権現(くまのこんけん)に同しく三社(さんしや)なり青山(あをやま)の鎮守(ちんしゆ)にして祭礼(さいれい)は
【左丁】
隔年(かくねん)九月廿一日に修行(しゆきやう)す別當(へつたう)は真言宗(しんこんしう)にして浄性院(しやうしやうゐん)と号(かう)す
心見観音(こゝろみくわんおん) 同 北(きた)に隣(とな)る天台宗(てんたいしう)にて竹園山(ちくえむさん)教学院(けうかくゐん)と号(かう)す本尊(ほんそん)は
聖徳太子(しやうとくたいし)の真作(しんさく)といふ
南命山(なんめいさん)善光寺(せんくわうし) 同所 百人町(ひやくにんまち)右側(みきかは)にあり信州(しんしう)善光寺(せんくわうし)本願(ほんくわん)上人
の宿院(しゆくゐん)にして浄土宗(しやうとしう)尼寺(あまてら)なり本尊(ほんそん)阿弥陀如来(あみたによらい)は御長(みたけ)一尺五寸
脇士(けふし)観音(くわんおん)勢至(せいし)の二 菩薩(ほさつ)は共(とも)に一尺つゝあり稱德天皇(しようとくてんわう)の景雲(けいうん)
元年八月十五日 夜(や)法如尼(ほふによに)和州(わしう)當麻(たいま)の紫雲庵(しうんあん)にて念佛誦持(ねんふつしゆち)の
頃(ころ)信州(しんしう)善光寺(せんくわうし)の如来(によらい)来現(らいけん)ありしを拜(はい)し奉(たてまつ)り直(たゝち)に一刀三禮(いちとうさんれい)
にして其(その)御形(おんかたち)を摸(うつ)さる是則(これすなはち)當寺(たうし)の本尊(ほんそん)なり
當寺(たうし)は永禄(えいろく)元年戊午の創建(さうこん)にして始(はしめ)は谷中(やなか)にありしを中興(ちゆうこう)
光蓮社心誉知善(くわうれんしやしんよちせん)上人 明観大和尚(みやうくわんたいおしやう)の時(とき)宝永(はうえい)二年
台命(たいめい)に依(よつ)て此地(このち)へ迁(うつ)されけるとなり《割書:今(いま)谷中(やなか)に善光寺坂(せんくわうしさか)と号(なつく)るは其(その)|旧地(きうち)なるか故(ゆゑ)にして其(その)旧跡(きうせき)は今(いま)の》
《割書:玉林寺(きよくりんし)の|地(ち)なりと云》什宝(しうはう)に中將姫(ちゆうしやうひめ)自(みつから)の毛髪(もうはつ)を以(もつ)て製造(せいさう)する所(ところ)の六字(ろくし)の