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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之8 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之8 - ページ 24

ページ: 24

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【右丁】  名号(みやうかう)あり  觀音堂(くわんおんたう) 《割書:本堂(ほんたう)の左に並(なら)ふ堂内(たうない)観音(くわんおん)百躰(ひやくたい)を安(あん)す本尊(ほんそん)は聖観音(しやうくわんおん)にして其(その)|丈(たけ)二尺はかりあり惠心僧都(ゑしんそうつ)の作(さく)なり當寺(たうし)むかし谷中(やなか)にありし頃(ころ)》  《割書:火災(くわさい)にかゝりし時(とき)自(みつか)ら火中(くわちゆう)を遁(のか)れ出(いて)給ひし靈像(れいさう)なりといへり故(ゆゑ)に字(あさな)して火(ひ)|除(よけ)とも又は火災(くわさい)の時(とき)榎(えのき)に飛(とひ)うつり給ひしにより榎観世音(えのきくわんせおん)とも稱(しよう)するといへり》 斥候塚(ものみつか) 一名(いちみやう)を去我苦塚(さるかくつか)ともいふとなり百人町(ひやくにんまち)の通(とほ)り田村(たむら)下総矦(しもつふさこう)  邸(やしき)の中(うち)にあり相傳(あひつた)ふ渋谷(しふや)の金王麿(こんわうまろ)斥候(ものみ)の塚(つか)なりと此塚(このつか)に  登(のほ)りて四方を顧望(こはう)すれは二三里(にさんり)か間(あひた)は手(て)にとりつへく遠(とほ)くは  冨士(ふし)筑波(つくは)信甲(しんかう)相武(さうふ)の青嶽(せいかく)房總(はうさう)の翠巒(すゐらん)画(ゑか)くか如(こと)く憂悲(ゆうひ)苦惱(くなう)を  去(さる)依(よつ)て号(な)とすといふ《割書:或人(あるひと)云(いふ)此(この)ものみ塚(つか)のたくひ府中(ふちゆう)むさしのゝあたりこゝ|かしこにあり古(いにし)へ府中(ふちゆう)野火留(のひとめ)のあたり迠(まて)一向(ひたすら)の原野(はらの)にて》  《割書:行(ゆく)とも秋(あき)の果(はて)もなく月(つき)の入(いる)へき山(やま)の端(は)さへなき名(な)にしおふ大原(おほはら)なれは旅人(りよしん)の道(みち)に|迷(まよ)はさらん為(ため)に所々(ところ〳〵)にかゝる塚(つか)を築(つ)き置(おき)て其上(そのうへ)より望(のそ)めは道筋(みちすち)こと〳〵くわかる》  《割書:様(やう)にそなへしものならんといへり又 府中(ふちやう)の北(きた)に冨士見塚(ふしみつか)或(あるひ)は佛(ほとけ)の岱(たい)八国山(はちこくやま)なといふ|たくひ四五 箇所(かしよ)迄(まて)存(そん)せり此所(このところ)にあるも又 其(その)たくひなるへし又 或人(あるひと)云(いふ)去我苦塚(さるかくつか)と云(いふ)は》  《割書:申樂塚(さるかくつか)の誤(あやまり)なるへし昔(むかし)此所(このところ)にて申樂(さるかく)興行(こうきやう)ありし旧跡(きうせき)なる故(ゆゑ)に此名(このな)あり斥候(ものみ)|塚(つか)も又 見物(けんふつ)の人(ひと)の登(のほ)り居(ゐ)たる故(ゆゑ)に物見塚(ものみつか)と唱(とな)へしなるへしと云々 未(いまた)其(その)是非(せひ)をしら》  《割書:す昔(むかし)の鎌倉海道(かまくらかいたう)の旧跡(きうせき)此塚(このつか)の下に俤(おもかけ)残(のこ)りてあり|》 笄橋(かうかいはし) 青山(あをやま)長者(ちやうしや)か丸(まる)の谷間(たにあひ)の小溝(こみそ)に架(わた)せり《割書:里俗(りそく)云(いふ)昔(むかし)は此川(このかは)を龍川(りやうせん)|といひて大河(おほかは)なりしと云々》 【左丁】  或(あるひは)鷱(かう)か谷(や)に作(つく)り鉤匙(こうかひ)とす《割書:菊岡沾凉(きくをかせんりやう)云(いはく)往古(むかし)六孫王経基(ろくそんわうつねもと)佩刀(はいとう)の笄(かうかい)を此(この)|地(ち)の關守(せきもり)に与(あた)へられしによりて名付(なつく)と》  《割書:故(ゆゑ)に笄橋(かうかいはし)といひ又は経基橋(つねもとはし)とも号(なつ)くるといへとも臆説(おくせつ)なるへし笄(かうかい)は和名抄(わみやうせう)加美(かみ)|左之(さし)と訓(くん)す髪搔(かうかい)として可(か)ならん其余(そのよ)髪搔(かうかい)に因(ちな)む所(ところ)の諸説(しよせつ)は繁(しけ)きをいとひて》  《割書:こゝにもらしつ|》   《割書:按(あんする)に笄橋(かうかいはし)は國府(こふ)か谷橋(やはし)なるへし世(よ)に長禄年間(ちやうろくねんかん)の江戸(えと)の旧図(きうつ)と称(しよう)するものに|青山(あをやま)の辺(あたり)に國府方(こふかた)といへる地名(ちめい)あり永禄(えいろく)二年 北条家(ほうてうけ)の所領役帳(しよりやうやくちやう)にも森弥三郎(もりやさふらう)》   《割書:といへる人の江戸(えと)の所領(しよりやう)の内(うち)に國府方(こふかた)といへる名(な)を注(ちゆう)し加(くは)へたり是等(これら)を合(あは)せ|考(かんか)ふるに此所(このところ)は昔(むかし)國府(こふ)方と称(しよう)せし地(ち)にして其(その)谷合(たにあひ)に架(わた)せし橋(はし)なれは》   《割書:國府(こふ)か谷橋(やはし)と唱(とな)へしなるへしやといは通音(つうおん)なり俗間(そくかん)市谷(いちかい)越谷(こしかい)鳩(はと)か谷(い)なと|いふにひとしくやをいに唱(とな)へかへたりしより後人(こうしん)髪搔(かうかい)に因(ちなみ)てさま〳〵の臆(おく)》   《割書:説(せつ)をはなせしとおほえたり|》 渋谷長者墳墓(しふやちやうしやのふんほ) 同所 松前家(まつまへけ)の弟宅(ていたく)の地(ち)にあり小髙(こたか)き塚(つか)にして  頂(いたゝき)に松樹(しようしゆ)繁茂(はんも)す相傳(あひつた)ふ應安(おうあん)の頃迠(ころまて)此地(このち)に冨農(ふのう)ありて是(これ)を渋谷(しふや)  長者(ちやうしや)と称(しよう)せしとなり《割書:今(いま)同所(とうしよ)百人町(ひやくにんまち)の南(みなみ)を長者(ちやうしや)か丸(まる)と唱(とな)ふるも其(その)宅地(たくち)の旧跡(きうせき)|なれはさはいふとそ其(その)長者(ちやうしや)か子孫(しそん)近(ちか)き頃(ころ)まて幽(かすか)なる》  《割書:百姓(ひやくしやう)にてありしとなり|》   《割書:按(あんする)に江戸砂子(えとすなこ)に渋谷(しふや)百姓町(ひやくしやうまち)岡部家(をかへけ)の別荘(へつさう)の地(ち)はそのかみ冨民(ふみん)慶福(けいふく)といひし|者(もの)の宅地(たくち)なりとあり又 青山(あをやま)恩田(おんでん)の松平藝州矦(まつたひらけいしうこう)の別荘(へつさう)に稲荷(いなり)の叢祠(さうし)ありて》   《割書:其前(そのまへ)に古(ふる)き石(いし)の燈篭(とうらう)あり其(その)棹石(さをいし)に康暦(かうれき)二年十月日 願主(くわんしゆ)四郎太夫とあり|是(これ)を渋谷長者(しふやちやうしや)建立(こんりふ)のものとす然(しか)らは四郎太夫 慶福(けいふく)なと称(しよう)せしにやされと其(その)姓氏(せいし)》   《割書:等(とう)もしるへからす江戸砂子(えとすなこ)には渋谷長者(しふやちやうしや)の名(な)は宗順(そうしゆん)といひけるとあり|》 通明観(つうめいくわん) 渋谷(しふや)岡部家(をかへけ)別荘(へつさう)の号(かう)なり風景(ふうけい)他(た)に越(こえ)四時(しいし)共(とも)に美観(ひくわん)たり