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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之8 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之8 - ページ 36

ページ: 36

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【右丁】  あり麓(ふもと)の小川(をかは)に架(わた)せる橋(はし)をも冨士見橋(ふしみはし)と名(な)つけたり《割書:相州(さうしう)街道(かいたう)の|中(なか)坂(さか)の数(かず)》  《割書:四十八ありとなり此(この)冨士(ふし)|見坂(みさか)は其(その)首(はしめ)なりといへり》 道玄坂(たうけんさか) 冨士見坂(ふしみさか)の下(した)耕地(かうち)を隔(へた)てゝ向(む)ふの方(かた)西(にし)へ登(のほ)る坂(さか)をいふ  《割書:此(この)坂(さか)を登(のほ)りて三丁 程(ほと)行(ゆけ)は岐路(わかれみち)あり直路(すくち)は大山道(おほやまみち)にして三間(さんけん)茶屋(ちやや)より登戸(のほりと)の|渡(わたし)また二子(ふたこ)の渡(わたし)へ通(つう)す右(みき)へ行(ゆけ)は駒塲野(こまはの)の御用(こよう)屋敷(やしき)の前(まへ)通(とほ)り北澤(きたさは)淡島(あはしま)への道(みち)也》  世田(せた)ケ(か)谷(や)へ行道(ゆくみち)なり《割書:道玄(たいけん)或(あるひ)は|道元(たいけん)に作(つく)る》里諺(りけん)に云(いふ)大和田氏(おほわたうち)道玄(たうけん)は和田(わた)  義盛(よしもり)か一族(いちそく)なり建暦(けんりやく)三年五月 和田(わた)の一族(いちそく)滅亡(めつほう)す其(その)残黨(さんたう)  此所(このところ)の窟中(くつちゆう)に隠(かく)れ住(すみ)て山賊(さんそく)を業(わさ)とす故(ゆゑ)に道玄坂(たうけんさか)といふとなり  《割書:東鑑廿一 建暦三年癸酉五月二日壬寅和田左| 右衛門 ̄ノ尉義盛率_二 ̄シテ伴黨_一 ̄ヲ忽襲_二 ̄フ将軍 ̄ノ幕下_一 ̄ヲ謂件與力 ̄ノ衆》   《割書:者嫡男和田 ̄ノ新左衛門 ̄ノ尉常盛同子息新兵衛 ̄ノ尉朝|盛入道三男朝夷名 ̄ノ三郎義秀四男和田 ̄ノ四郎左衛》   《割書:門 ̄ノ尉義直五男同五郎兵衛 ̄ノ尉義重六男同六郎兵|衛尉義信七男同七郎秀盛此外土屋大学 ̄ノ助義清》   《割書:古郡左衛門ノ尉保忠渋谷 ̄ノ次郎髙重《割書:横山権守|時重聟》中山四郎|重政同太郎行重土肥 ̄ノ先次郎左衛門ノ尉惟平岡崎》   《割書:左衛門ノ尉實忠《割書:實田与一|義忠カ子》梶原六郎朝景同次郎景衡同|三郎景盛同七郎景氏大庭小次郎景兼深澤二郎》   《割書:景家大方五郎政直同太郎遠政塩屋三郎惟守以|下中畧和田四郎左衛門尉義直年卅七爲_二伊具馬太郎》 【左丁】   《割書:盛重_一 ̄カ被_二|討取_一 ̄ラ父義盛年六十七殊 ̄ニ歎息 ̄シ於_レ今者勵_二 ̄スニ合戦_一 ̄ヲ無|益云云揚_レ ̄テ聲 ̄ヲ悲哭 ̄シ迷_二惑東西_一 ̄ニ遂 ̄ニ被_レ討_二于江戸左衛門尉》   《割書:能範 ̄カ所從_一 ̄ニ云云同男五郎兵衛尉義重年三十四六郎兵衛|尉義信廿八七郎秀盛十五以下張本七人共誅朝夷》   《割書:名三郎義秀三十八並數率等出_二海濱_一 ̄ニ棹舩 ̄ニ赴_二 ̄ク安房國_一 ̄ニ其|勢五百騎舩六艘云云又新左衛門尉常盛四十二山内》   《割書:郡左衛門尉和田新兵衛入道以上大将軍六人遁_二|戰塲_一逐電云云》   《割書:按(あんする)に大和田(おほわた)は大多和(おほたわ)なるへき歟 三浦一族(みうらいちそく)の中(うち)に大多和(おほたわ)と号(かう)するあり東鑑(あつまかゝみ)に|治承(ぢしやう)四年八月廿二日 三浦(みうら)次郎(しらう)義澄(よしすみ)同(おなしく)十郎(しふらう)義連(よしつら)大多和(おほたわ)三郎(さふらふ)義久(よしひさ)子息(しそく)義成(よしなり)》   《割書:和田(わた)太郎(たらう)義盛(よしもり)同 次郎(しらう)義茂(よしもち)中畧 三浦(みうら)を出(いて)て參向(さんかう)すとあり或人(あるひと)云 道玄(たうけん)は|沙門(しやもん)にして此地(このち)に昔(むかし)一宇(いちう)の寺院(しゐん)ありて道玄寺(たうけんし)と称(しよう)したり故(ゆゑ)に坂(さか)の名(な)に呼(よ)ひ》   《割書:来(きた)れるともいひて一ならず|》 道玄(たうけん)物見松(ものみのまつ) 道玄坂(たうけんさか)を登(のほ)りて七町あまり西(にし)の方同し街道(かいたう)大坂(おほさか)  と云より此方(こなた)右側(みきかは)にありしが明和(めいわ)の頃(ころ)枯(かれ)たりしかは伐(きり)たり  と云《割書:木(き)の圍(めくり)五かこみ程(ほと)ありて根(ね)より三丈はかり上にて東西(とうさい)へ廿間はかり南(なん)|北(きた)へ十六七間はかりに枝(えた)なかれ蒼々(さう〳〵)たりしにより炎暑(えむしよ)の頃(ころ)は行人(かうしん)この》  《割書:樹下(しゆか)によりていこひたりしとなり今(いま)駒塲坂(こまはさか)の下 用水堀(ようすいほり)の傍(かたはら)に一株(いつちやう)の古松(こしよう)あるを|混(こん)して道玄松(たうけんまつ)と称(しよう)すれとも一 本松(ほんまつ)と称(しよう)してこの松(まつ)と別(へつ)也》  里諺(りけんに)云(いふ)道玄(たうけん)此(この)松樹(しようしゆ)に登(のほ)り往来(わうらい)の人を見下(みくた)し小賊(せうそく)に命(めい)して  衣服(いふく)物(もの)の具(く)を奪(あは)ひ採(とら)しめたりしとなり