翻刻
【右丁】
駒塲野(こまはの) 道玄坂(たうけんさか)より乾(いぬゐ)の方十四五町 斗(はかり)を隔(へたて)たり代々木野(よゝきの)に
續(つゝ)きたる廣原(くわうけん)にして上目黒村(かみめくろむら)に属(そく)す雲雀(ひはり)鶉(うつら)野雉(きし)兎(うさき)の
類(るい)多(おほ)く御遊猟(こいうりやう)の地(ち)なり《割書:此地(このち)の官林(くわんりん)は享保(きやうほ)の初(はしめ)御狩塲(おんかりは)に定(さため)させられ|たりとなり又 此地(このち)の里正(なぬし)加藤氏(かとううち)某(それかし)は小田原(をたはら)》
《割書:北条家(ほうていけ)の臣(しん)加藤(かとう)丹後守(たんこのかみ)といへる人の後裔(こうえい)にして小田原(をたはら)落去(らくきよ)の後(のち)此地(このち)に縁(えん)あるを|以て蟄居(ちつきよ)し終(つひ)に農民(のうみん)となれりとなり丹後守(たんこのかみ)は武州(ふしう)多摩郡(たまこほり)箱根﨑(はこねさき)にて》
《割書:討死(うちしに)せしとて其(その)一族(いちそく)の墳墓(ふんほ)箱根崎(はこねさき)圓福寺(えんふくし)といふに存(そん)せりとそ|》
蛇池(へひいけ)《割書:官林(くわんりん)の中(うち)にありと云 享保(きやうほ)三年 此地(このち)御遊猟(こいうりやう)の地(ち)に定(さため)させられし翌年(あくるとし)の|夏(なつ)風雨(ふうう)夥(おひたゝ)しく此(この)池中(ちちやう)に栖(すみ)たりし蛇(くちなは)こゝを立去(たちさり)たりといふ故(ゆゑ)に此名(このな)あり》
鐘鋳塚(かねいつか) 《割書:駒塲野(こまはの)の中(うち)にありと云 方(はう)九尺 斗(はかり)髙(たか)さ七八尺斗なりとそむかし此所|にて梵鐘(ほんしよう)を鋳(い)たる旧跡(きうせき)なりと云傳(いひつた)ふれとも何(いつ)れの寺(てら)の鐘(かね)にや》
《割書:しるへからす冨士見坂(ふしみさか)の下(しも)の水流(すゐりう)下渋谷(しもしふや)分水(ふんすゐ)掛口(かけくち)の地(ち)の名(な)に道塲(たうちやう)か淵(ふち)と云あり|いつれ此(この)近辺(ちかきあたり)に盛大(せいたい)の寺院(しゐん)ありしなるへし》
去我苦塚(さるかつか) 別所臺(へつしよたい)と云 地(ち)にあり塚(つか)の髙(たか)さ一丈あまりあり相傳(あひつた)ふ
昔(むかし)渋谷(しふや)長者(ちやうしや)某(それかし)此辺(このあたり)の人民(しんみん)を語(かた)らひ時(とき)として此(この)塚(つか)の邊(あた)り
にて酒宴(しゆえむ)を催(もよほ)し歓楽(くわんらく)せしにより苦(く)を去(さる)の所謂(いはれ)なりと云
《割書:此辺(このあたり)都(すへ)て古(いにしへ)居舘(きよくわん)佛堂(ふつたう)の類(るい)ありし地(ち)にや近頃(ちかころ)道路(たうろ)を作(つく)らんとして岨(やま)を掘(ほり)|穿(うか)ちて土中(とゆう)布目(ぬのめ)の紋理(もんり)ある古瓦(こくわ)数枚(すまい)を得(え)たりといふ》
土器塚(かはらけつか) 駒塲野(こまはの)の内(うち)なり里諺(りけん)に云(いふ)往古(そのかみ)此地(このち)奥州(あうしう)街道(かいたう)なりしにより
【左丁】
源義家(みなもとのよしいへ)朝臣(あそん)奥州(あうしう)征伐(せいはつ)のころ此地(このち)に至(いた)り給ひ酒宴(しゆえむ)ありし
土器(かはらけ)を後(のち)土人等(としんら)此地(このち)に埋(うつ)めて義家(よしいへ)朝臣(あそん)の武功(ふこう)英名(えいめい)を尊(たうと)ふの
あまり土器塚(かはらけつか)と称(しよう)すと云 其(その)塚(つか)の側(かたはら)を同勢山(とうせいさん)と呼(よ)ふは義家(よしいへ)朝臣(あそん)
供奉(くふ)の輩(ともから)の居(ゐ)たりし旧跡(きうせき)といふ《割書:按(あんする)に此地(このち)に芦毛塚(あしけつか)と称(しよう)するものあり疑(うたか)ふ|らくは土器塚(かはらけつか)も騜塚(かはらけつか)を誤(あやま)るものにし事》
《割書:往古(そのかみ)は馬(うま)なとを埋(うつ)め|たる塚(つか)なるへし》
足毛塚(あしけつか) 宿山(しゆくやま)と小地名に称(とな)ふる地(ち)の里正(なぬし)金子氏(かねこうち)構(かまへ)の内(うち)にあり頼朝卿(よりともきやう)
乗(しよう)する所(ところ)の芦毛馬(あしけうま)の斃(たをれ)たるを埋蔵(まいさう)せし旧跡(きうせき)と云
氷川明神(ひかはみやうしん)祠 駒塲野(こまはの)官林(かんりん)より此方(こなた)の岡(をか)にあり祭神(まつるかみ)素戔嗚(すさのをの)
命(みこと)一座(いちさ)天正(てんしやう)年間(ねんかん)甲州郡内(かうしうくんない)上の原(はら)といへる地(ち)にありしを加藤(かとう)
氏《割書:加藤氏(かとううち)の事(こと)は先(さき)の|駒塲野(こまはの)の条下(てうか)にあり》此地(このち)に移(うつ)り住(ちやう)する頃(ころ)産土神(うふすな)なるゆゑにこゝに
此(この)神(かみ)を勧請(くわんしやう)なし奉るといへり祭礼(さいれい)は毎歳(まいさい)九月廿九日に執行(しゆきやう)
せり《割書:此(この)神(かみ)の氏子(うちこ)は古(いにし)へより疫災(えきさい)の|患(うれひ)をしらすといひ傳(つた)ふ》
天満宮(てんまんくう) 同所 駒塲野(こまはの)道玄坂(たうけんさか)より一町半斗 東(ひかし)の方(かた)にあり相傳(あひつた)ふ