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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之8 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之8 - ページ 43

ページ: 43

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【右丁】  給へり像(さう)の背(せ)に木牌(もくはい)を建(たて)る其(その)牌面(はいめん)に銘(めい)する文(ふん)左(さ)の如(こと)し     最明寺時頼公守本尊    經塚 駒留八幡宮     北條左近太郎入道成願    奉安鎭所徳治三戌申年十月廿三日  經筒(きやうつゝ)《割書:紫銅(しとう)にして合(あは)せ目(め)をは鋲(へう)にて留(とめ)たるものとおほしくみゆれとも|朽損(くちそん)して鋲(へう)の跡(あと)のみ存(そん)せり圍(かこ)み五寸六分長五寸あり》   敬白    八幡大菩薩御寶前   奉加法書寫六部妙法蓮華經   奉讀誦妙法蓮華經一千部  右志者爲身心大施主現世安穏  後生善所親類安穏福壽増長   南無法界平等利益  同《割書:紫銅(しとう)にして圍(かこ)み八寸あまり長(なかさ)五寸ありて二の經筒(きやうつゝ)は共(とも)に天和(てんわ)年間(ねんかん)|當社(たうしや)修造(しゆさう)の時(とき)経塚(きやうつか)といへる地(ち)より當社(たうしや)の神躰(しんたい)と共(とも)に穿(うかち)得(え)たりとなり》  德治三秊戌申十月廿三日  沙弥見佛    左近太郎入道成願  《割書:按(あんする)に皇朝(くわうちやう)年代(ねんたい)畧記(りやくき)皇代記(くわうたいき)如是院(によせゐん)年代記(ねんたいき)等(とう)に德治(とくち)三年戌申十月九日|改元(かいけん)ありて延慶(えんけい)とせらるゝよしありされと將軍(しやうくん)執権(しつけん)次第(したい)には十一月廿五日》  《割書:改元(かいけん)とありてこゝに注(ちやう)す所(ところ)不審(ふしん)とす|》 【左丁】  田中(たなか)辨財天(へんさいてん)祠《割書:同し社地(しやち)にあり常盤(ときは)御前(こせん)此地(このち)に崇(あかむ)ると云 一説(いつせつ)に常盤(ときは)|御前(こせん)没(ほつ)するの後(のち)弁天(へんてん)に崇(あか)むるともいへり神躰(しんてい)は座像(ささう)に》  《割書:して一尺五寸 斗(はかり)あり龕(つし)の|背面(はいめん)に左(さ)の如(こと)く記(しる)してあり》      天文四壬未年七月     香林院殿海岸寶樹大姉      田中辨天之施主 常盤御前御法号也     《割書:按(あんする)に上馬牽澤村(かみうまひきさわむら)の隣村(りんそん)若林村(わかはやしむら)に香林寺(こうりんし)といふ洞家(とうけ)の禪刹(せんさつ)あり其(その)|寺に常盤(ときは)御前(こせん)の靈牌(れいはい)墳墓(ふんほ)あり過去帳(くわこちやう)に香林寺殿(こうりんしてん)海岸(かいかん)宝樹(ほうしゆ)大姉(たいし)》     《割書:天文(てんふん)四年未七月七日とあり香林寺(こうりんし)は即(すなはち)常盤(ときは)御前(こせん)の開創(かいさう)なりこゝに|常盤(ときは)御前(こせん)と称(しやう)するは吉良家(きらけ)の令室(れいしつ)なり》  社記(しやきに)云(いはく)當社(たうしや)八幡宮(はちまんくう)は何(いつ)れの時世(しせい)の創建(さうけん)なる事をしらす  社廟(しやひやう)傾廃(けいはい)神躰(しんたい)も又ある事なし然(しかる)に天和(てんわ)二年此地(このち)の領主(りやうしゆ)  大久保侯(おおくほこう)藤原(ふちわら)忠誠(たゝなり)當社(たうしや)を修造(しゆさう)せんとして其頃(そのころ)経塚(きやうつか)と云  地(ち)を穿(うか)ち土中(とちやう)一(ひとつ)の壺(つほ)を得(え)らる又 其(その)壺中(こちやう)小銅器(せうとうき)あり《割書:前(まへ)に挙(あけ)|たり》  德治(とくち)三年戌申 北条(ほうてう)左近(さこんの)太夫(たいふ)入道(にふたう)成願(しやうくわん)沙弥(しやみ)見佛(けんふつ)等(ら)の名(な)を  銘(めい)し内(うち)に今(いま)存(そん)する所(ところ)の神躰(しんたい)を篭(こめ)たり又 其(その)一箇(ひとつ)は法華経(ほけきやう)六部(ろくふ)を  書寫(しよしや)し又 一千部(いつせんふ)を讀誦(とくしゆ)する由(よし)銘(めい)せり依(よつて)忠誠(たゝなり)當社(たうしや)の修造(しゆさう)