翻刻
【右丁】
本堂(ほんたう)本尊(ほんそん)瑠璃光(るりくわう)如来(によらい)《割書:御頭(みくし)はかり行基(きやうき)大師(たいし)の作(さく)にして再興(さいこう)の本尊(ほんそん)は座像(ささう)長(なかさ)五尺|脇士(けうし)日光(につくわう)月光天(くわつくわうてん)共(とも)に五尺五寸ありて慈覚(しかく)大師(たいし)の作(さく)なり》
影向石(えうかうせき)《割書:又(また)佛足石(ふつそくせき)とも称(しよう)す堂前(たうせん)右の方にあり垣(かき)をめくらし入口(いりくち)に戸鎖(とさし)ありて猥(みたり)に|人をして入(いら)しむる事なし石(いし)の大さ六尺四方 石面(せきめん)は平(たひら)にして中真(ちゆうしん)に一尺五寸》
《割書:計(はかり)の凹(なかくほ)なる所ありて常(つね)に水(みつ)を湛(たゝ)へて上に屋根(やね)を覆(おほ)ふこれを醫王水(いわうすゐ)と称(しよう)し病(やまひ)|あるもの服飲(ふくいん)して霊驗(れいけん)を得(う)るといふ》
影向石(えうかうせき)之(の)碑(ひ)《割書:入口(いりくち)の左に建(たて)たり|其(その)文(ふん)左(さ)のことし》
影向石碑
嗚呼神道之玅聰明正直也哉此地堂構往筲天平
之年初基焉 文徳帝之御宇中興焉悉因王造云
有石象凹清泉常満一飲其水則沈痾盡癒人々至
誠所以感於神也矣余曽患眼也多年矣毉藥極術
而未得其驗偶至此禱之則雙明漸愈雖未如平人
焉大半獲快矣鳴嘑靈泉之玅河潤千里也哉敬拜
神靈之威德而片石以識不朽且表尊信之志也矣
延享丙寅季秋 東都法眼桂川先生門人和州城
下郡大泉村森本宜直立之
東武 菊池政房代撰
平林惇信書
縁起(えむきに)曰(いはく)天平(てんへい)十一年己卯九月十二日 寅(とら)の尅(こく)に至(いた)り聖武(しやうむ)天皇(てんわう)の妃(きさき)
《割書:光明(くわうみやう)皇后(くわうこう)是これ)なり|不比等(ふひと)の大臣(たいしん)の二女なり》俄(にはか)に御悩(こなう)あり天皇(てんわう)自 薬師佛(やくしふつ)を御祈念(こきねん)ありしに
【左丁】
翌年(よくねん)辛辰二月十二日の夜(よ)一人(ひとり)の沙門(しやもん)忽然(こつせん)として天皇(てんのう)の
御前(おんまへ)に彳(たゝすみ)告奉(つけたてまつ)りて曰(いは)く武蔵國(むさしのくに)橘樹(たちはな)の里(さと)に《割書:倭名抄(わみやうせう)橘樹郡(たちはなこほり)の|中(うち)に橘樹(たちはな)といへる地(ち)》
《割書:名(めい)を記(しる)したり今(いま)此(この)地名(ちめい)亡(ほろ)ひたりといへとも|疑(うたか)ふらくは此(この)あたりを云(いひ)しなるへし》一(ひとつ)の靈石(れいせき)あり中心(ちゆうしん)に水(みつ)を湛(たゝ)へたり
佛(ふつ)在世(さいせ)の時(とき)佛(ほとけ)此(この)靈石(れいせき)に向(むか)ひ三國(さんこく)に飛行(ひきやう)して永(なか)く有縁(うえむ)の
地(ち)に止(とゝま)るへしと云々 然(しかる)に其石(そのいし)忽然(こつせん)とし飛行(ひきやう)し此(この)日本(につほん)の地(ち)に移(うつ)り
彼地(かしこ)に止(とま)れり件(くたんの)靈石(れいせき)は釋尊(しやくそん)の御足(おんあし)を捧(さゝ)け奉(たてまつり)し大蓮花(たいれんけ)の
其(その)一葉(いちえふ)を踏(ふみ)とゝめて末世(まつせ)に残(のこ)し置(おき)給ふ所(ところ)實(しつ)に奇特(きとく)の靈(れい)
石(せき)にして彼地(かしこ)も又(また)靈佛(れいふつ)安座(あんさ)の勝刹(しようせつ)なり早(はや)く一(ひとつ)の伽藍(からん)を建(こん)
立(りふ)し醫王尊(いわうそん)を安置(あんち)し給はゝ皇后(くわうこう)の御悩(こなう)立所(たちところ)に平癒(へいゆ)あるへし殊更(ことさら)
王城(わうしやう)の鎮護(ちんこ)として國土(こくと)豊饒(ふによう)たるへしと坐(さ)を立(たち)給ふと見(み)て其(その)行(ゆく)
方(へ)を見失(みうしな)ひ給ふ天皇(てんのう)此(この)奇特(きとく)をしろしめされ行基(きやうき)菩薩(ほさつ)に薬師(やくし)
佛(ふつ)彫造(てうさう)の勅(ちよく)あり又(また)武蔵國(むさしのくに)に勅使(ちよくし)を下(くた)し給ふ同年四月八日
勅使(ちよくし)當國(たうこく)に下向(けかう)ありて此(この)靈地(れいち)を探(さく)り得(え)給ひ竟(つひ)に伽藍(からん)造立(さうりふ)