翻刻
【右丁 絵図】
登戸渡(のほりとわたし)
【左丁】
とも云てその説(せつ)一ならす《割書:舟田(ふなた)も尊(みこと)の御舟(おんふね)の着(つき)て|ありし旧跡(きうせき)なりと云》
右近(うこん)屋敷(やしき)《割書:社地(しやち)の右にあり農民(のうみん)藤七(とうしち)といふ人 居住(きよちゆう)す右近(うこん)古(いにしへ)は當社(たうしや)を奉祀(ほうし)の|ものにして藤七(とうしち)は其(その)末裔(まつえう)なりとて今猶(いまなほ)連綿(れんめん)として子孫(しそん)繁昌(はんしやう)せり》
左近(さこん)屋敷(やしき)《割書:同しく社地(しやち)の左にありて右近(うこん)屋敷(やしき)と共(とも)に除地(しよち)たりされと|左近(さこん)屋敷(やしき)の方は今(いま)畑(はた)となりて人居(しんきよ)はあらす》
橘姫神廟(たちはなひめのしんひやう)《割書:社地(しやち)より二丁はかり東(ひかし)に當(あた)りて山(やま)の中腹(ちゆうふく)にあり|五六歩の地(ち)を封(はう)して茅篠(かやしの)の類 鬱茂(うつも)せり》
相傳(あひつたふ)日本武尊(やまとたけるのみこと)東征(とうせい)の時(とき)此(この)海上(かいしやう)逆浪(けきらう)の災(わさはひ)に逢(あひ)給ふ其頃(そのころ)弟橘姫(おとたちはなひめ)の
御衣(きよい)及(およ)ひ御冠(おんかふり)の具(く)なと流(なか)れ寄(より)たりしを土中(とちゆう)へ収(をさ)めたる旧跡(きうせき)なりといふ
大戸明神(おほとみやうしん) 橘明神(たちはなみやうしん)の社(やしろ)より後(うしろ)へ二町あまり回(めく)りて西(にし)の方(かた)の山(やま)の上(うへ)に
あり蓮乗院(れんしやうゐん)兼帯(けんたい)す祭神(さいしん)大斗乃辨神(おほとのへのかみ)を祀(まつ)ると云《割書:神世七代の中(うち)|にして二柱神(ふたはしらのかみ)》
《割書:なり則(すなはち)女神(によしん)にまし〳〵て男神(をかみ)を|意冨斗能地神(おほとのちのかみ)と申奉る》神躰(しんたい)は一尺三四寸ありて男女(なんによ)の容貌(ようほう)
にして二軀(にく)あり《割書:按(あんする)に男神形(をかみのかたち)は意冨斗能地神(おほとのちのかみ)女神(めかみ)の|形(かたち)は大斗乃辨神(おほとのへのかみ)の神影(みえい)なるへし》祭礼(さいれい)は隔年(かくねん)九月
九日に修行(しゆきやう)せり
龍宿山(りようしゆくさん)最明寺(さいみやうし)金剛院(こんかうゐん)と号(かうす)丸子(まりこ)街道(かいたう)の西(にし)小杉邑(こすきむら)にあり新義(しんき)の
真言宗(しんこんしう)にして江戸(えと)愛宕下(あたこした)の真福寺(しんふくし)に属(そく)せり大日如来(たいにちによらい)の木(もく)