翻刻
城中に有之唐人共先年以来御無事の取扱仕候者共に候此度被打果
候へハ御無事の手切仕儀候間御助け候様にと被申越候上様より諸
手え御朱印を以向後大明と御無事の取噯仕者曲事たるへきと候て
御触候然ハ小西大明との御無事御内意を被得事候はゝ諸手一札を
も被出任其旨助け置れ候へと返事被申候左候へハ不及是非旨とて
城中被助置候儀ハやめられ候御朱印をも御触をも相背如此之段可
為越度候事
一去々年甲斐守せんしゆゟ先へ相働刻唐人ちくさん郡に御同勢有之
而てんなん郡へ罷出相拘候を追崩則御同勢居候ちくさん舘をも追
払数多討取候其砌都より遊撃使を出都迄被押入候へハ其身相果候
小西と堅申合子細有之由候て使者を相越候然に返事不仕あとへ被
相詰候はんかと致注進候て逗留中又遊撃使を差越小西かちさし物
並摂津守遊撃方への書状相越候然者主計甲斐守迄にて都迄押事い
かゝの旨御目付衆中被申候付て任其旨遊撃両度之使を召連可主一
手に罷成夫より小西指物幷書状の写仕両度に三人の唐人に使者を
相添小西方へ遣候処使の唐人をハ留置甲斐守方えの返事ハ無御座
候右之如く御朱印を相背重々ほしいまゝに有之段いかゝ御座有へ
き哉の事
連判中申分
一羽兵父子羽左同一人之衆幷対馬守志摩守今度於番舟ハ各に不似相
見合にて日本の御外聞失候事ハいかゝに候其上順天つなき南海へ
さへ不取籠剰三十里余南海引払相遁れ候事各御分別に御座有へく