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ぢしんの辨(べん)
およそ天地(てんち)の間(あひだ)は陰陽(いんやう)の二気(にき)を以(もつ)て元(もと)とすこの二気(にき)和順(くわじゆん)なる時(とき)は穏(おだやか)なりそれ地(ち)の厚(あつ)き事九万 里(り)にして四圍(しゐ)に竅(あな)あること
或(ある)ひは蜂(はち)の巣(す)の如(ごと)くまた菌(くさびら)の辮(すぢ)に似(に)たり水火(すゐくわ)これを潜(くヾ)りて出入(しゆつにふ)す然(しか)るに陰気(いんき)
上(かみ)に閉(と)ぢ陽気 下(しも)に伏(ふく)するとき升(のぼ)らんとするに升ることを得(え)ず因(よつ)て
地 漸々(だん〳〵)に脹(ふく)れ時をまち陰気を突破(つきやぶ)つて騰(のぼ)るこのとき
大地(たいち)大(おほい)に震(ふる)ふたとへば餅(もち)を焼(やき)て火気(くわき)その心(しん)に透(とほ)れば
漸々(だん〳〵)に脹れあがるが如し故(ゆゑ)に強(つよ)き地震(しん)は始(はじ)め発(はつ)する時
地 下(か)より泥沙(どろすな)を吹(ふき)出し大地陥(おちいる)が如く覚(おぼ)ゆるは陽気
発(はつ)してかの脹れたる地中の空穴(くうけつ)縮(しゞ)まる也されども一時(いちじ)に
縮ミ尽(つく)さず因(よつ)て一昼夜(いつちうや)に三五十 度(ど)或(ある)ひは
二三十 度(ど)少(すこ)しく震(ふる)ひて漸々(ぜん〳〵)に元に復す
なれば大地震の後(のち)度〳〵震ふとも始の
ごとき大震はあらざるの理(り)と
しるべし昔(むかし)より今(いま)に至り和漢(わかん)の
大 地震(ぢしん)度(たび)〳〵にて既(すで)に史(ふみ)にも
記(しる)し人(ひと)の譚(ものがたり)をきくにみな斯(かく)の如(ごと)し
然(しか)るをまたもや大に震はんかと日(ひ)を重(かさ)ねて
大 道(だう)に仮屋(かりや)をしつらへ寒風(かんふう)にあひ夜気(やき)をうけて
竟(つひ)に疾(やま)ひを発するを思はず少しもこの理(ことわり)を
知れらん人は婦児(をんなこども)によく諭(さと)して久(ひさ)しく路傍(みちはた)に
宿(しゆく)することなかれ
○俗説(ぞくせつ)にいふ地下(ちか)に鯰(なまづ)ありその尾鰭(をひれ)を動(うご)
かす時(とき)地(ち)これが為(ため)に震(ふる)ふといふその?(よりところ)【手偏+處 據】を
詳(つばら)にせざれど建久(けんきう)九年の暦(こよみ)の表紙(へうし)に地震(ぢしん)の
□?(むし 蟲)とてその形(かたち)を画(ゑが)き日本(にほん)六十六 州(しう)の名(な)を記(しる)したり
六七百年以前よりかヽる説は行はれき佛経(ぶつきやう)には龍(りう)の
所為(わざ)といふ古代の説(せつ)はかくの如(ごと)しと地震考(ぢしんかう)といふ書(しよ)に
記(しる)せり思(おも)ふに當時(たうじ)雑書(ざつしよ)には必(かならず)この圖を載(のせ)ざる事
なくその形(かたち)もまた鯰(なまづ)にあらず龍(りゆう)に類(るい)せる異形(いぎやう)のものなり
今またその圖(づ)をこゝに假(かり)て寅卯(とらう)二ケ年(ねん)地震(ぢしん)津波(つなみ)の
災異(さいい)ありし國々を一眼(ひとめ)に見(み)する目的(めあて)となすのみ
○【黄】此色は嘉永七甲寅【補】年十一月四日
大地震ありし國〳〵【補】なり
○【青】此色は同月同日地震の【補】後(ご)沖合(おきあひ)鳴出(なりだ )し
夜(よ)五半時 頃(ころ)大津波(おほつなみ)とな【補】りし場所(ばしよ)なり
○【赤】此色は安政二年十月二日【補】夜四ツ時 関(くわん)
東(とう)諸國(しよこく)大地震(おほぢしん)の分(ぶん)但 此(この)節【補】津波(つなみ)は
なし