翻刻
曽(そう)‾参(しん) 噛(かめば)_レ指(ゆびを)痛(いたむ)_レ心(むねを)
曽(そう)‾参(しん)。字(あさな)は子(し)‾輿(よ)。魯(ろ)の南(みなみ)。武(ぶ)‾城(じやう)の人(ひと)なり。孔(こう)‾子(し)の御弟(おんてい)‾子(し)にて。
道(だう)‾統(たう)の伝(でん)をつぎし人(ひと)なり。其(その)孝心(かうしん)あつきを以(もつ)て孔(こう)‾子(し)。
これが為(ため)に老(らう)‾経(きやう)を授(さづ)け給(たま)へり。或(ある)_時(とき)。曽(そう)‾参(しん)。山中(さんちう)へ薪(たきゞ)を採(とり)に
行(ゆか)れしあとへ。母(はゝ)のしたしき人(ひと)来(きた)りければ。母(はゝ)もてなしたく
おもひ給(たま)へども。曽(そう)‾参(しん)家(いへ)にあらざれば。こゝろにまかせざるが
ゆゑ。我子(わがこ)はやくかへれかしと思(おも)ひつゝ。何(なに)となく。自(みづか)ら
指(ゆび)を噛(かみ)給(たま)ひけるに。山(さん)‾中(ちう)にありし曽(そう)‾参(しん)。たちまち心(むね)_痛(いたみ)
けるにおどろき。母(はゝ)の御身(おんみ)の上(うへ)。こゝろもとなく。薪(たきゞ)もうちすてゝ。
いそぎ帰(かへり)見(み)るに。客(きやく)は既(すて)にかへり。母(はゝ)まちわび給(たま)へるさまなり。
曽(そう)‾参(しん)心(むね)の痛(いたみ)し故(ゆゑ)。はやくかへれるよし申(まう)されければ。母(はゝ)はあ
りし次(し)‾第(だい)をかたり。孝(かう)‾子(し)の親(おや)を忘(わすれ)ざる。誠(まこと)の志(こゝろざし)を感(かん)じ給ひけり