翻刻
庾(ゆ)‐黔(きん)‐婁(る) 嘗(なめて)_レ糞(ふんを)憂(うれふ)_レ心(こゝろを)
庾(ゆ)‾黔(きん)‾婁(る)は。南(なん)‾齋(せい)の時(とき)の人(ひと)なり。出(いで)て扇(せん)‾陵(りよう)といふ所(ところ)の令(れい)とな
れり。いまだ十(とを)‾日(か)も過(たゝ)ざるに。忽(たちま)ちむなさわぎしきりにし
て。身(み)より汗(あせ)_出(いで)ければ。これたゞ事(こと)にあらず。故(こ)‾郷(きやう)の父(ちゝ)の病(やまひ)
に臥(ふし)給(たま)ふなるべしと。即(そく)‾日(じつ)官(くわん)を棄(すて)て。昼夜(ちうや)をわかず。急(いそ)ぎ
帰(かへり)けるに。果(はた)して。父(ちゝ)重(おも)き疫(えき)‾痢(り)を患(うれ)ひ。親(しん)‾族(ぞく)集(つどに)て看(かん)‾病(びやう)せり。
其(その)黔(きん)‾婁(る)が帰(かへ)る事(こと)の甚(はなは)だ早(はや)きを怪(あやし)むに。黔(きん)‾婁(る)其(その)よしをかた
り。父(ちゝ)の病(やまひ)重(おも)く。命(いのち)の危(あやふ)からん事(こと)をかなしみて。医(い)に其(その)生(しやう)‾死(じ)を
問(とふ)に。これを知(し)らんと思(おも)はゞ。糞(ふん)を嘗(なめ)て。味(あちはひ)苦(にが)くば愈(いゆ)べく。甘(あま)きは
愈(いゆ)かべらずといへるに。即(そのまゝ)これをこゝろむるに。甘(あま)かりけれは。猶々(なほ〳〵)
心(こゝろ)を苦(くる)しめ。夜々(よな〳〵)北(ほく)‾辰(しん)に祈(いの)りて。己(おの)が身(み)を以(もつ)て代(かは)らんと願(ねが)へ
るに。さしも必(ひつ)‾死(し)の症(しやう)も。漸(やう〳〵)に愈(いえ)て。己(おのれ)も恙(つゝが)なかりしとなん