翻刻
【右上段】
同 八時 七五三、三 同 一二,五 曇 同
同 九時 七五四,二 西南西 一三,三 雨 同
同 十時 七五四,八 西 一二,一 曇 強風
同 十一時 七五五,0 同 一二,七 同 同
同 正午 七五五,六 同 一一,二 雨 同
同 午後一時 七五五,七 同 九,二 曇 疾風
右の表中 疾風(しつぷう)とあるは風力の小枝を動(うご)かすほどのものを云ひ。
強風(きやうふう)とは同しく勁枝を動かすものを稱(とな)へ烈風(れつぷう)とは大樹の幹を
動揺(どうえう)する風力といひ。颶風とは樹(き)を抜(ぬ)き家を倒す風の力を名け
たるものたり。扨て此暴風の進路(しんろ)は左の中気象台報告に據(よつ)て
明かなれば之を抄出す。
暴風雨概況
八月十四日午前六時頃大隅国大島の南方に現(あら)はれたる低気圧(ていきあつ)
【右下段】
は一時間約二十 哩(マイル)の速度(そくど)を以て。北西方に進行(しんかう)し。北緯三十
度附近に至りて。一時方向を正北に取(と)りしも。亦北東に転(てん)じ
夜半九州南端に達(たつ)せり。而して中心の鹿児島を経過せしは。
翌十五日午前一時四十分にして。当時同地(たうじどうち)の晴雨計は七百二
十三粍九の最低度(さいていど)を示せり。爾来低気圧は北進するに従ひて
其速度を加へ。且 漸次浅薄(ぜんじせんはく)となり。大分(おほいた)に於ては最低七百三十
十六 粍(ミリメ―トル)となれり。又中心は大分を過(すき)たるの後。東北東に進
み。午後二時岡山の北方に同十時金沢 附近(ふきん)に達し。十六日午前
六時福島辺二及び。将(まさ)に太平洋に突進(とつしん)せんとするか如し。云々
明治三十二年八月十六日 中央気象台
右等の調査に據(よ)り。此暴風の如何いか)に激烈(げきれつ)なりしやを知るへし。
尚(な)ほ県下損害(けんかそんがい)の個所。並に死傷(ししやう)の調査表を録(ろく)せは左の如し。
【調査表は翻刻不能に付省略】
【左上段】
●鹿児嶋市暴風雨の災害
▲海岸方面 見るもの聞くものとして。惨状(さんぜう)を極めざるはなき
内にも。殊(こと)に目立ちて気の毒なるは鹿児島市の海岸(かいがん)方面なり。
先般来各浦々より盆(ぼん)の買物にと。当 波止場(はとば)内に来り居りし大小
の和船は何十隻と云ふ数を知らず。何(いづ)れも既に買物(かひもの)を済(す)まして
日和(ひより)を待ち折角船出(せつかくふなで)せんと準備(ようひ)のみは残る方なく。今か〳〵と
待ち居るものゝ此の五六日来は天候(てんこう)何となく穏(おだや)かならず。如何
はせんと気を焦(あせ)り居たるに。前記の大暴風(だいぼうふう)に遭遇し。避難も思ふ
如く出来ず。只アレヨ〳〵と云ふのみにて。或は岸(きし)に打ち揚
げられ。若くは船と船と衝突(つきあ)てしかは。全破損船三十六隻。半
破損船十四隻。船主不明(ふなぬしふめい)の全破損船十隻にして。破壊船(はくわいせん)都合六
十隻を出し波止場内は只だ見渡(みわた)す限り木の葉を浮(ふか)べしが如くに
て。実に目も当られず。碇泊(ていはく)の和船の惨状(ざんぜう)は此の如くなるが。
海岸(かいがん)一帯の家屋は壊倒(くわいたう)せしものとてはなきも。何れも大破を受
【左下段】
けざるはなく。住吉町下海岸の堤(つゝみ)は十間ほども洗はれし。如何
に風力(ふうりよく)の烈かりし乎を察すべし。
▲小蒸気船の遭難 波止場に碇泊(ていはく)し居りし小蒸気船の内生陽丸
は舳部に大破を受け。第二隼人丸は「スクルフ」を折(を)り。両国
丸は甲板(かんはん)に。明治丸は船腹に。何れも相応(さうおう)の損傷を受けたり。
又た風帆船(ふうはんせん)も二隻遭難せり。
▲錦江亭の丸潰れ 廣馬場通り旧豊民館前通り辺(へん)は海岸に接し
居れる故 被害(ひがい)も余程(よほど)多く。兩通りとも殆ど満足(まんぞく)の家屋なしと
云ふも可なり。中に就て最も気(き)の毒(どく)に哀(あは)れなるは。錦江亭にて
同亭は昨春新(さくしゆんあら)たに二階を造り修繕(しうぜん)を加へて。立派なる料理屋と
なりしが。全家丸潰(ぜんかまるつぶ)れとなり。悲惨なる三人の死者さへ出すに
至りしも哀(あわ)れなる。
▲大門口 海岸近き所の事とて。是辺(このあたり)も殊に風当り強く。新町
通りより青柳楼への入口(いりくち)には。左右三戸の丸潰(まるつぶ)れ。其の少し下