能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

加能真宗聖集 - 翻刻

加能真宗聖集 - ページ 27

ページ: 27

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【右ページ】    加賀國金澤智覚寺本尊略縁起 抑當寺に安置し奉る本尊阿弥陀如来の霊像は人王三十九代【ママ】天智天皇の勅詔により賢門子稽首薫親子左右 半身彫刻の霊像にして奇瑞多しといへとも其一を左の圖画にあらはすものなり委しきは本縁起にしるす 【以下物語は四コマ漫画のようになっており、下から上へ進んでいる】 四 段 善左衛門指をもちてよみ がへりし智覚寺本尊の □度【済度?】にあづかりし物がたり をなし三年の後ち   終に    往生の     素懐を    とげし       なり 三 段 善左衛門迷途におもむき ければ化僧出現まし〳〵 済度のしるしとして自の 左手の  指を   さつけ     給ふ 二 段 善左衛門  日ごろの 邪見に   より □□に  ありて  火車を   見る 終に  同年   六月五日  命終   せり 一 段 享保十七年三月廿八日金沢 鍛冶町釜屋善左衛門なる もの平常邪見なりしが 同日女房のすゝめにより始 めて智覚寺の  本尊を礼拝す   是則済度の    結縁となれり 【欄外に手書き】 明治二?十五年長?月十四日多?詣?本尊■衆群?す? 【左頁】    加賀國金澤智覚寺本尊略縁起 委しきは本縁起に記るす 抑當寺に安置し奉る本尊阿弥陀如来の霊像は人皇三十八代天智天皇の勅により賢門師稽首薫親子 左右半身宛彫刻の霊像にしてその霊瑞なること多ふけれと其の一を左の啚【圖】にしるせり 四たん 善左衛門再たひ娑婆に かへり化僧済度の物語り 指はこゝにと手を開けは ふ思議に光明かかや         けり  終に無二の信者と   なりて三年の末    目出度往生を   とけに     けり 三たん 善左衛門迷道にして 化僧の済度にあつかり なをしるしとて化僧 左の御手の指を与へり  智覚寺の本尊化僧と    示現まし〳〵         けり 二たん 善左ヱ門  臨終に 火の車の  迎に   あふて 終に  同年 六月五日に  命を 終へり 一たん 享保十七年の三月廿八日 金澤鍛冶町の住人釜屋 善左ヱ門なるもの平 生ふ法儀なりしか女房 のすゝめによりて始めて 智覚寺に詣り本尊に 礼す  是善左ヱ門済度結  縁の始め      なり 【賢門子(賢門師)と稽首薫は奈良時代の仏師の名前で一説には賢門子が父、首薫が息子とも言う。各地の寺に二人の作とされる仏像が残されている。名前の表記や読み方には揺れがあり父の方は稽文旨(けいもんし)、稽文会(けいもんえ)、息子は稽主勲(けいしゅくん)とも】