翻刻
【右丁】
《割書:按(あんする)に応永(おうえい)十四年は足利将軍(あしかゝしやうくん)義持(よしもち)の時世(しせい)佛躯(ふつく)こゝかしこに穴(あな)あり疑(うたか)ふ|らくは昔(むかし)兵乱(ひやうらん)の時(とき)に損(そん)せしめものならん歟(か)》
吾妻堤(あつまひ[つヵ]ゝみ) 同所(とうしよ)にあり往古(いにしへ)の街道(かいたう)の余波(なこり)なりとて堤(つゝみ)の形(かたち)今(いま)も
僅(わつか)に残(のこ)れり
太神宮(たいしんくう) 同所御 焔硝倉(ゑんせうくら)の西(にし)の方(かた)に有(あ)り相伝(あひつた)ふ萬治年間(まんちねんかん)
関東(くわんとう)大(おほい)に疫疾(ゑきしつ)流行(りうかう)す富士(ふし)の根方(ねかた)より神送(かみおく)りして此地(このち)に
祭(まつ)りぬ然(しかる)に其(その)神輿(みこし)の中(うち)に太神宮(たいしんくう)の御祓(おんはらひ)有(あ)り依(よつ)て此地(このち)
鎮護(ちんこ)の為(ため)同所 八幡宮(はちまんくう)の地(ち)に祠(やしろ)を建(たて)て是(これ)を勧請(くわんしやう)す《割書:後(のち)此(この)|地(ち)に》
《割書:うつすといへり神主(かんぬし)は小川氏(をかはうち)なり》
遊女(いうちよ)の松(まつ) 同所 西(にし)に隣(とな)る天台宗(てんたいしう)寂光寺(しやくくわうし)の境地(けいち)に有(あ)り
《割書:当寺(たうし)昔(むかし)は麹町(かうしまち)の貝塚(かいつか)の地(ち)にありしか御城廓(おんしやうくわく)御造営(こさうえい)の時(とき)此地(このち)に|うつさるゝとなり始(はしめ)は日蓮宗(にちれんしう)なりしか元禄(けんろく)の頃(ころ)天台宗(てんたいしう)に改(あらた)む今(いま)の|開基(かいき)は自證大僧都円雄師(ししやうたいそうつゑんいうし)なり》
相伝(あひつた)ふ此地(このち)は往古(いにしへ)の奥州街道(あうしうかいたう)にして広豁(くわうくわつ)の原野(けんや)なりしに
此(この)松樹(しようしゆ)の鬱蒼(うつさう)として栄茂(えいも)し遠(とほ)く見(み)え渡(わた)りし故(ゆゑ)に霞(かすみ)の
松(まつ)と号(なつけ)しか寛永(くわんえい)の頃(ころ) 大樹(たいしゆ)此地(このち)に御放鷹(こはうよう)の時(とき)御 鷹(たか)翦(それ)て
【枠外】 三ノ百四十四
【左丁】
御気色(おんけしき)あしかりしか此松(このまつ)にありて御拳(おんこふし)に止(とゝま)る故(ゆゑ)に御褒賞(こほうしやう)
として其(その)御鷹(おんたか)の名(な)を此松(このまつ)に命(めい)せられ遊女(いうちよ)と唱(とな)へしめ
給ふとなり
新日暮里(しんひくらしのさと) 同所二丁はかり西南(にしみなみ)の小川(をかは)を隔(へた)てゝ法雲山(はふうんさん)仙寿(せんしゆ)
院(ゐん)といふ日蓮宗(にちれんしう)の寺(てら)の庭(には)をしかよへり此辺(このへん)の地勢(ちせい)をよひ寺(し)
院(ゐん)の林泉(りんせん)の趣(おもむき)谷中(やなか)日暮里(ひくらしのさと)に似(に)て頗(すこふ)る美観(ひくわん)たり故(ゆゑ)に日暮(ひくらしの)
里(さと)に相対(あひたい)して仮初(かりそめ)に新日暮(しんひくらし)と字(あさな)せり弥生(やよひ)の頃(ころ)爛漫(らんまん)たる
花(はな)の盛(さか)りには大(おほい)に群衆(くんしゆ)せり当寺(たうし)は紀州公(きしうこう)御母堂(こほたう)養珠(やうしゆ)
院日心大姉(ゐんにつしんたいし)正保(しやうほ)紀元(きけん)甲申 草創(さう〳〵)あり当寺(たうし)の鬼子母神(きしもしん)は
同 大姉(たいし)甲の延嶺(えんれい)にして霊尓(れいし)を感(かん)し大野(おほの)の辺(へん)の土中(とちゆう)に
得(え)られて後(のち)当寺(たうし)開創(かいさう)落成(らくせい)の日(ひ)安置(あんち)ありしとなり同所
一町はかり東南(とうなん)竜岩寺(りうかんし)といへる済家(さいけ)の禅宗(せんしう)の寺(てら)の庭中(ていちゆう)に
笠松(かさまつ)と称(しよう)するあり枝(えた)のわたり三間(さんけん)あまりあり