翻刻
【右丁】
《振り仮名:千駄ヶ谷観音堂|せんたかやくわんおんたう》 寂光寺(しやくくわうし)より二町はかり西北(にしきた)の方(かた)にあり観(くわん)
谷山(こくさん)聖輪寺(しやうりんし)と号(なつ)くる真言宗(しんこんしう)の寺(てら)に安置(あんち)す
本尊(ほんそん)如意輪観音(によいりんくわんおん)は当寺(たうし)開山(かいさん)行基大士(きやうきたいし)の彫像(てうさう)にして御丈(おんたけ)
三尺五寸あり世俗(せそく)目玉(めたま)の観音(くわんおん)と字(あさな)し奉(たてまつ)る《割書:往古(そのかみ)慶長(けいちやう)三年の|春(はる)盗賊(とうそく)来(きた)り此(この)本(ほん)》
《割書:尊(そん)の御 双眼(さうかん)は精金(いんす)なりと聞傳(きゝつた)へ鑿(ゑり)とりて去(さら)んとせしか冥罰(みやうはつ)にやよりけん|自(みつか)ら持(もて)る所(ところ)の刃(やいは)に貫(つらぬか)れて死(し)せり此地(このち)の高橋氏(たかはしうち)某(それかし)目(ま)のあたり是(これ)をみて|驚歎(きやうたん)し堂宇(たうう)を再興(さいかう)す此故(このゆゑ)に里民(りみん)目玉(めたま)の観音(くわんおん)と字(あざな)したてまつるよし|本尊縁起(ほんそんえんき)にみゆ菊岡沾凉翁(きくをかせんりやうをう)の説(せつ)に江戸寺院(えとしゐん)の中 千有余歳(せんいうよさい)を歴(へ)たる|ものは浅草寺(あさくさてら)と|当寺(たうし)也といへり》
縁起曰(えんきにいはく)神亀(しんき)二年乙丑 行基大士(きやうきたいし)東国(とうこく)遊化(いうけ)の頃(ころ)同年(とうねん)初夏(しよか)
に暫(しはら)く此地(このち)に息(いこ)ひ給ふ時(とき)に如意輪観世音(によいりんくわんせおん)傍(かたはら)の谷(たに)より
出現(しゆつけん)し給ひ大士(たいし)に霊尓(れいし)あり依(より)て佛意(ふつい)に応(おう)しかしこにあり
し古株(こちゆう)を佛材(ふつさい)として此(この)本尊(ほんそん)を彫刻(てうこく)し奉(たてまつ)る故(ゆゑ)に観谷聖輪(くわんこくしやうりん)
の号(な)ありといへり
《振り仮名:千駄ヶ谷八幡宮|せんたかやはちまんくう》 同所一丁許 西(にし)にあり此辺(このへん)の惣鎮守(さうちんしゆ)にして
【枠外】 三ノ百四十七
【左丁】
例祭(れいさい)は九月廿七日なり別当(へつたう)は真言宗(しんこんしう)高雲山(かううんさん)瑞円寺(すゐゑんし)
と号(なつ)く
鈴懸松(すゝかけまつ)《割書:門前(もんせん)に松(まつ)の老樹(らうしゆ)有(あ)り寛永(くわんえい)の頃(ころ) 大樹(たいしゆ)此地(このち)に御放鷹(こはうよう)の時(とき)|御 鷹(たか)の鈴(すゝ)此松(このまつ)の枝(えた)にかゝりしとなり故(ゆゑ)に名(な)とすと》
社記云(しやきにいはく)往昔(むかし)此地(このち)深林(しんりん)の中(うち)に時(とき)として瑞雲(すゐうん)現(けん)しける又(また)
或時(あるとき)碧空(へきくう)より白気(はくき)降(くた)りて雲上(うんしやう)に散(さん)す村民(そんみん)怪(あやし)むて彼(かの)
林(はやし)の下(した)に至(いた)るに忽然(こつせん)として白鳩(しらはと)数多(あまた)西(にし)をさして飛(とひ)されり
依(よつ)て其(その)霊瑞(れいすゐ)を称(しよう)し小祠(しやうし)を営(いとな)み名(な)つけて鳩森(はとのもり)といふ貞観(ちやうくわん)
二年 慈覚大師(しかくたいし)東国(とうこく)遊化(ゆふけ)の頃(ころ)村民等(そんみんら)大師(たいし)に鳩森(はとのもり)の神(しん)
躰(たい)を乞求(こひもと)む依(より)て宇佐八幡宮(うさはちまんくう)城州(しやうしう)鳩(はと)の嶺(みね)に移(うつ)り給ふ
古(いにしへ)を思(おも)ひて神功皇后(しんこうくわうこう)応神天皇(おうしんてんわう)春日明神(かすかみやうしん)等(とう)の尊躰(そんたい)を
作(つく)り添(そへ)て正八幡宮(しやうはちまんくう)と崇(あか)め給ふ遙(はるか)に後(のち)久寿年間(きうしゆねんかん)渋谷(しふや)
正俊(まさとし)領地(りやうち)に鎮座(ちんさ)の御神(おんかみ)なるを以(もつ)て金王丸(こんわうまる)生前(しやうせん)随身(すゐしん)の
本尊(ほんそん)恵心僧都(ゑしんそうつ)の作(さく)の弥陀如来(みたによらい)の像(さう)を本地佛(ほんちふつ)とし社(やしろ)を