翻刻
【右丁】
《割書:覚玄斉(かくけんさい)当寺(たうし)弟(たい)【第】三世 看心(かんしん)に|授与(しゆよ)し当寺(たうし)に安(あん)すといふ》
本尊(ほんそん)聖観音(しやうくわんのん)《割書:作者(さくしや)詳(つまひらか)ならす一尺斗の石(いし)の上(うへ)に立(たゝ)せ給ふ|此(この)臺石(たいいし)潮(しほ)の盈虚(みちひ)には必(かならす)湿(ぬ)るゝとなり》
忍原(おしはら) 同所 四谷通(よつやとほ)りの小名(しやうみやう)なり傳(つた)へ云(いふ)寛永(くわんえい)十年癸酉 武州(ふしう)
忍(おし)の城(しろ)を松平豆州侯(まつたいらつしうかう)に賜(たま)ふ其頃(そのころ)は御番城(こはんしやう)なりしかは
勤番(きんはん)の面々(めん〳〵)御家人(こけにん)を江戸(えと)へ召帰(めしかへ)され此地(このち)において宅地(たくち)を
賜(たま)ふされと其頃(そのころ)は広原(くわうけん)なりし故(ゆゑ)に字(あさな)の忍原(おしはら)とは呼(よひ)し
と也 忍川(おしかは)と唱(とな)ふる地(ち)は四谷(よつや)の通(とほ)り伝馬(てんま)町の西(にし)にあり
篠寺(さゝてら) 同所 塩(しほ)町三丁目の左(ひたり)の側(かは)に有(あ)り四谷山(しこくさん)長善寺(ちやうせんし)と
いへる禅林(せんりん)にして篠寺(さゝてら)は其(その)異名(いみやう)也 天正(てんしやう)三年乙亥の草創(さう〳〵)
にして開山(かいさん)は文叟憐学和尚(ふんそうりんかくおしやう)本尊(ほんそん)は釈迦如来(しやかによらい)脇士(けうし)は普賢(ふけん)
文珠(もんしゆ)也 傳(つた)へ云(いふ)当寺(たうし)は長善庵(ちやうせんあん)と呼(よ)ひ形(かた)はかりの草菴(さうあん)にて
満地(まんち)小篠(をさゝ)のみ繁茂(はんも)せり寛永(くわんえい)の比(ころ)
大樹(たいしゆ)此辺(このへん)御鷹狩(おんたかかり)のとき 厳命(けんめい)ありて篠寺(さゝてら)とよはせ
【枠外】
三ノ百三十七
【左丁】
篠寺(さゝてら)といへるは四谷塩(よつやしほ)町の
通(とほ)り道(みち)より左(ひたり)の傍(かたはら)にあり
長善禅寺(ちやうせんせんし)と号(なつ)く昔(むかし)
御放鷹(こはうえう)の頃(ころ)当寺(たうし)いさゝか
の庵室(あんしつ)にて満庭(まんてい)小篠(をさゝ)
のみ所(ところ)せく繁茂(はんも)
せしかは篠寺(さゝてら)と
よはせ給ひしより
字(あさな)とはなりぬる
となり依(よつて)今(いま)も
堂前(たうせん)に方(はう)三尺
はかりの小篠(をさゝ)の
隅(くま)ありて
其證(そのしよう)を
永世(えいせい)に
標(ひやう)せり