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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之16 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之16 - ページ 20

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【右丁】  《割書:門前(もんせん)旅籠屋町(はたこやまち)にして此 六地蔵石灯籠(ろくちさういしとうろう)のあたり馬(むま)駕籠(かこ)の立場にてありしといへり此 故(ゆへ)に今も毎年|十二月十八日の市(いち)には此辺 浅草海苔(あさくさのり)を賈(あきな)ふ家(いへ)〳〵にて近在(きんさい)より参詣(さんけい)する旅人(たひゝと)をして止宿(ししゆく)せしむるとそ》  《割書:伝(つた)へ云(いふ)久安(きうあん)二年丙寅 左馬頭義朝(さまのかみよしとも)当寺(たうし)観音(くわんおむ)へ参詣(さんけい)あつて諸堂(しよたう)造営(さうえい)の時(とき)鎌田兵衛正清(かまたひやうえまさきよ)奉納(ほうなふ)あ|りしといへり竿石(さほいし)に銘(めい)あれとも文字(もんし)剝落(はくらく)して鮮明(せんみやう)ならす唯(たゝ)久安(きうあん)六月十一日《割書:一書に十月|廿二日とあり》兵衛(ひやうえ)の九字(くし)のみ今》  《割書:猶(なを)現然(けんせん)たり高さ六尺あまり火袋(ひふくろ)の|六面(ろくめん)に六体(ろくたい)の地蔵尊を彫刻(てうこく)せり》  坊舎(はうしや)三十余宇(さんしうよう)《割書:当寺(たうし)は浅草(あさくさ)第一の精舎(しやうしや)にして境内(けいたい)霊神霊仏(れいしんれいふつ)甚(はなはた)多(おゝ)く枚挙(まいきよ)にいとまあらす|故(ゆへ)に悉(こと〳〵)く拾遺(しふい)にゆつりてこゝに略(りやく)せり》  専堂坊(せんたうはう) 斎堂坊(さいたうはう) 常音坊(しやうおんはう)《割書:此 三坊(さんはう)は漁者(きよしや)三人の遠裔(ゑんえい)にして妻帯(さいたい)なれは今にあり|子孫(しそん)連綿(れんめん)として相続(さうそく)す則 隔年(かくねん)三月十七日 祭(さい)礼の》  《割書:時(とき)も三人の輩(ともから)三基(さんき)の神輿(みこし)を供奉(くふ)す又 三坊(さんはう)のうちより|観音略縁記(くはんおんりやくえんき)牛王宝印(こわうはうゐん)等(とう)を出せり》  雷神門(らいしんもん)《割書:当寺(たうし)南の総門(そうもん)なり左右に風雷(ふうらい)の二神(にしん)を安置(あんち)す明和(めいわ)の回録(くはいろく)に罹(かゝ)りて烏有(ういう)となり|しか寛政(くはんせい)の今 再建(さいこん)ありて昔(むかし)に復(ふく)せり》  額(かく)《割書:金龍山|》曼珠院二品良尚親王(まんしゆゐんにほんりやうしやうしんわうの)真蹟(しんせき)  本尊縁起曰(ほんそんえむきにいはく)人皇三十四代 推古天皇(すいこてんわう)の御宇(きよう)土師臣中知(はしのおみなかとも)といへる人 故(ゆへ)あ  りて此地に流浪(さすらふ)《割書:日本紀曰(にほんきにいはく)垂仁(すいにん)天皇三十一年 野見宿祢(のみのすくね)に始(はしめ)て土師臣(はしのおみ)の姓(せい)を賜(たま)ふとあり野見宿(のみのすく)|祢(ね)は天穂日命(あまのほひのみこと)十四世の孫(そん)なりこゝにいへる中知(なかとも)も此 遠裔(ゑんえい)なるへし山岡明阿弥(やまをかみやうあみ)》  《割書:陀仏(たふつ)云(いふ)中知は奈加登茂(なかとも)又|登茂奈利(ともなり)とも訓(くん)すといへり》家臣(かしん)檜熊浜成(ひのくまのはまなり)武成(たけなり)と云(いふ)二人(ふたり)の兄弟(きやうたい)附添(つきそひ)て主従(しゆう〳〵)三  人 恒(つね)に漁猟(すなとり)を産業(なりわひ)としてこゝに年月(としつき)を送(をくり)けり《割書:檜熊(ひのくま)或(あるひは)檜前(ひのくま)に作(つく)る新撰姓氏録(しんせんせいしろく)|に檜前舎人連(ひのくまのとねりむらし)と云云 然時(しかるとき)は檜前》  《割書:に作(つくり)て可(か)ならん歟(か)し続日本後記(そくにほんこうき)に檜前舎人直由加麻呂(ひのくまのとねりあたへゆかまろ)武蔵国(むさしのくに)加美郡(かみこほり)の人にして土師氏(はしうち)と祖(そ)を同(おなしう)|するとあり又 延喜式(えんきしき)兵部省(ひやうふしやう)諸国馬牛(しよこくはきう)の牧(まき)の中(うち)にも武蔵国(むさしのくに)檜前馬牧(ひのくまのむまのまき)とあり是等(これら)によるとき》 【左丁】  《割書:は浜成(はまなり)武成(たけなり)も此 国(くに)の|人(ひと)ならん歟(か)》同三十六年戊子三月十八日の朝(あした)碧落(へきらく)に雲消(くもきえ)て蒼溟(さうめい)に  風静(かせしつか)なりけれは小舟(こふね)に乗(しよう)し此所の沖(おき)に出(いて)て網(あみ)を下(おろ)すに《割書:浅草川(あさくさかは)むかし|海にちかし旧(きう)》  《割書:名(めい)を宮戸(みやと)|川(かは)と称(しよう)す》遊魚(いうきよ)はさらになく幾度(いくたひ)も同(おな)し観音大士(くはんおんたいし)の尊像(そんそう)のみかゝり賜(たま)ふ  異浦(ことうら)に至(いた)りてもいよ〳〵しかり依(よつ)て主従(しゆう〳〵)驚(おとろ)き是(これ)を奉持(ほうち)して帰(かへ)り  機縁(きえん)の浅(あさ)からさるを思(おも)ひて其家(そのいへ)に安(あん)すといへとも唯(たゝ)臭魚(しうきよ)の穢(けかれ)に雑(ましは)る事  を恐(おそ)るゝのみ《割書:世(よ)に草刈(くさかり)の童(わらは)集(あつま)つて藜(あかさ)をもつて仮(かり)の|御堂(みたう)を造(つく)るといへる事 縁起(えんき)に所見(しよけん)なし》こゝにをひて終(つゐ)に魚舎(きよしや)をあら  ためて一宇(いちう)の香堂(かうたう)を経営(つく)り彼(かの)尊像(そんさう)を安置(あんち)し奉る《割書:今の一権現(いちのこんけん)の|地其 旧跡(きうせき)なり》其(その)  後(のち)舒明(しよめい)天皇の御宇(きよう)十年戊戌正月十八日 霊告(れいこう)ありて回録(くわいろく)す《割書:其後(そののち)又三ヶ月|を経(へ)て炎上(えんしやう)し》   《割書:夫(それ)より回録(くはいろく)七度(なゝたひ)に及(をよ)ふといへとも本尊(ほんそん)は自(をのつか)ら火焔(くはえん)を免(まぬか)れ出給ひて恙(つゝか)なし衆人(しゆうしん)皆(みな)奇(き)なりとす|是(これ)累年(るいねん)此地は漁猟(きよれふ)殺生(せつしやう)を業(わさ)として汚穢(をゑ)の所(ところ)なれは焼除(やきのそき)て無垢(むく)の霊場(れいしやう)となさんかためかく》  《割書:は本尊 示現(しけん)ありしとそ依(よつ)て|炎上(えんしやう)の後(のち)霊験(れいけん)いよ〳〵いちしるし》後(のち)久(ひさし)く堂宇(たうう)破壊(はゑ)にをよひしを孝徳(かうとく)天皇 大化(たいくは)元  年乙巳 勝海(しようかい)上人 東行(とうかう)の次(ついて)適(たま〳〵)こゝに来(きたつ)て再営(さいえい)す《割書:則(すなはち)当寺(たうし)の開山(かいさん)と称(しよう)すこのとき|勝海(しようかい)上人 本尊(ほんそん)の花容(くはよう)を拝(はい)し》  《割書:て奇異(きい)の霊告(れいかう)をかうむり夫(それ)より|己降(このかた)秘仏(ひふつ)として拝(はい)する事なし》天慶(てんけい)五年壬寅 安房守平公雅(あはのかみたいらのきんまさ)《割書:大系図(おほけいつ)に従五位上 平(たひらの)|公雅(きんまさ)武蔵守(むさしのかみ)に任(にん)する》  《割書:よし記(しる)せり前太平記(せんたいへいき)第六巻に藤原秀郷(ふちはらのひてさと)平親王将門(へいしんわうまさかと)を誅(ちゆう)する功(こう)によつて天慶(てんきやう)三年三月廿九日|武蔵(むさし)下野(しもつけ)両国(りやうこく)の守(かみ)に任(にん)せらるゝとあり又同書に同四年七月十六日《割書:将門記に二月|十四日誅すとあり》将門(まさかと)純友(すみとも)誅戮(ちゆうりく)の時(とき)も》