東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之16 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之16 - ページ 26

ページ: 26

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【右丁】   《割書:さるゝとあり今あはせて考(かんか)ふれは往古(そのかみ)は石浜(いしはま)のあたりより東南(とうなん)此 浅草(あさくさ)のあたり迄も打開(うちひらき)たる海面(かいめん)にて|ありしなるへし土俗(とそく)の口碑(こうひ)に其むかし本所深川(ほんしよふかかは)のあたり海面(かいめん)なりし頃は今の真土(まつち)山は沖(おき)より入津(にふしん)の》   《割書:船(ふね)の目 的(あて)にてありしとそ仍(よつ)てまた考ふるに木下(きけ)川より須田村(すたむら)のあたりを限(かき)りとし南のかたは|寺島(てらしま)柳島(やなきしま)牛島(うししま)大(おゝ)島 猿江(さるえ)永代(えいたい)島なと称(しよう)してむかし海面なりしといへる事よりところとするにたれり》 駒形堂(こまかたとう) 駒形町(こまかたまち)の河岸(かし)にあり往古(むかし)は此所に浅草寺(せんそうし)の総門(そうもん)ありしといふ  《割書:其 頃(ころ)は左右(さいう)並木(なみき)にして桜花(さくら)数株(すちう)を栽(うへ)ましへ春時(はる)は殊更(ことさら)なかめも深かりしにや寛永(くはんえい)二十年の|印本(いんほん)東(あつま)めくりといへる書(ふみ)に駒形堂の近辺(きんへん)並木(なみき)の桜花(さくら)爛熳(らんまん)たるよしをしるせり》本尊(ほんそん)は  馬頭観音(はとうくはんおん)なり浅草寺縁起(せんそうしえんき)に天慶(てんけい)五年 安房守(あはのかみ)平公雅(たいらのきんまさ)浅草寺 観音(くはんおん)  堂(とう)造営(そうえい)の時此 堂宇(とうう)も建立(こんりふ)ありしよしを記(しる)せり《割書:祈願(きくはん)ある者 賽(かへりまうし)にはかならす駒の|形(かたち)を作(つく)り物にして堂内(とうない)へ奉納(ほうのふ)す故に》  《割書:駒形堂と唱(とな)へ地名(ちめい)も|またこれに因(よつて)おこる》此 堂(とう)の傍(かたはら)に浅草寺領内(せんさうしりやうない)殺生禁断(せつしやうきんたん)の碑(ひ)あり   禁殺碑   武蔵之州浅草之川遠出乎源近注干海大悲薩埵   現像垂跡洋洋如在昭昭而著其為霊境亦己尚矣   然恣事釣漁夭傷水族寃苔之惨不勝哀愍腥臭之   穢固可厭悪伏惟霊刹数 回禄蓋以大悲為此有   所不安也幸遇   今時丕承   洪運仁慧   四海深重物命礼崇三宝㫄興寺宇於是去歳闔寺   堂舎修治補葺猶如新成因立制令厳戒殺生乃以   南自諏訪町北至聖天岸十町余計為界嗚呼盛哉   好生之大徳種福之勝業一在干斯   人主之   天恩意足仰而望菩薩之観心可従而知区区愚哀 【左丁】   感仰有余乃為銘曰   維斯一心 即具三千 以我則乖 以観則円   鱗介異類 好悪同然 詎忍残殺 不知哀憐   営生■味 速禍取愆 畏報於後 思戒於肯   文明遇時 慈悲如天 網罟作禁 魚龞無度   豈伹物命 因慈得全 教化所及 弊習能悛   元禄第六歳次昭陽作噩春三月     武州豊島郡金龍山浅草寺権僧正宣存誌 三島明神(みしまみやうしん)社  駒形(こまかた)町の西二丁はかりにあり祭神(さいしん)大山袛命(おほやますみのみこと)一坐(いちさ)《割書:伊予(いよ)の国(くに)風(ふう)|土記(とき)には大山(おほやま)》  《割書:積(つみ)につく|れり》土人(としん)伝云(つたへいふ)往古(むかし)河野何某(かうのなにかし)本国(ほんこく)予州(よしう)の地(ち)より此 武蔵国(むさしのくに)へ赴(おもむ)くの海上(かいしやう)  にて風波(ふうは)の難(なん)に逢(あふ)仍(よつて)本国(ほんこく)一宮(いちのみや)の御神(おんかみ)に祈(いの)り奉(たてまつ)りしに恙(つゝか)なく着岸(ちやくかん)  せしかは神恩(しんおん)を報(むくひ)奉(たてまつ)らむか為(ため)弟宅(ていたく)の地に勧請(くはんしやう)ありし由(よし)昔(むかし)は下谷坂本(したやさかもと)にありし  を元禄(けんろく)年中 今(いま)の地(ち)へ遷(うつ)さる《割書:其 旧地(きうち)東叡山(とうえいさん)の東(ひかし)の|麓(ふもと)根岸村(ねきしむら)にあり》祭礼(さいれい)は毎歳(まいさい)五月十五日なり 清水稲荷(しみついなり)社  駒形(こまかた)町にあり往古(むかし)嘉承(かしよう)年中 弘法大師(こうほふたいし)東国遊化(とうこくいうけ)のみき  り此 国(くに)へ入給ひし頃(ころ)霊告(れいかう)によつて如意宝珠(によいはうしゆ)を神体(しんたい)とし稲荷(いなり)に勧請(くわんしやう)した  まふとそ《割書:其 地(ち)より清泉(せいせん)涌出(わきいつ)る故(ゆへ)に清水(しみつ)の名(な)あり其 後(のち)谷中(やなか)感応寺(かんおうし)の持(もち)となり法華(ほつけ)の勧請(くはんしやう)と|なりしか彼寺(かのてら)改宗(かいしう)の後(のち)東叡山末(とうえいさんまつ)となり別当(へつたう)を妙行院(めうきやうゐん)といふ旧地(きうち)は東叡山(とうえいさん)の西(にし)のかたに》  《割書:ありて寒松院搆(かんしやうゐんかまへ)のうちとなる今 清水門(しみつもん)と号(なつく)るも其 旧号(きうかう)をうしなはさるの証(しよう)なり元禄(けんろく)の頃(ころ)三島(みしま)明神と|共(とも)にこの地(ち)にうつされたり按(あんす)るに元禄(けんろく)二年 開板(かいはん)の江戸惣鹿子(えとそうかのこ)といへる草紙(さうし)に谷中稲荷清水(やなかいなりのしみつ)今に絶(たえ)せ》 【■は「嗜」ヵ】