翻刻
【右丁】
御厩河岸渡(おむまやかしのわたし)
【図】
【枠内】駒留はし
【枠内】駒留石
【枠内】椎木やしき
【左丁】
義家朝臣(よしいへあそん)奥州下向(あうしうけかう)の時(とき)こゝに至(いた)りたまふに河上(かはかみ)より銀杏木(いちやうのき)の流(なか)れ来(きた)る
あり則(すなはち)義家公(よしいへこう)手(て)つから地(ち)にさし誓(ちかつ)て曰(いはく)朝敵退治(てうてきたいち)勝利(しようり)あらは此樹(このき)すみやかに
枝葉(しえふ)を栄(さか)ふへしとなり遂(つゐ)に其軍(そのいくさ)勝利(しようり)ありて凱陳(かいちん)【陣】の時(とき)ふたゝひこゝに至(いた)り給ふに
枝葉(しえふ)栄(さかへ)けれは八幡宮(はちまんくう)を勧請(くはんしやう)し給ひしとそ其昔(そのむかし)は八幡塚(はちまんつか)と唱(となへ)けりとなん神木(しんほく)
の銀杏樹(いちやうのき)は延享(えむきやう)二年の秋(あき)暴風(ほうふう)に吹折(ふきおられ)て今わつかに其枯株(そのこちゆう)を存(そん)せり
第六天神社(たいろくてんしんのやしろ) 浅草橋(あさくさはし)の外(そと)にあり昔(むかし)は大倉前(おほくらまへ)森田町(もりたちやう)にありしを享保(きやうほ)四年 火(くは)
災(さい)の後(のち)今の地に移(うつ)る祭神(さいしん)は面足尊(おもたるのみこと)惶根尊(かしこねのみこと)なり《割書:天神六代|の神なり》祭礼(さいれい)は毎歳(まいさい)六月五日なり
篠塚稲荷社(しのつかいなりのやしろ) 当地(たうち)の旧社(きうしや)なり《割書:往古此所を茅原(かやはら)の里と|云よし社伝(しやてん)に云り》昔(むかし)新田家臣(につたのかしん)篠塚伊賀守(しのつかいかのかみ)当社(たうしや)を信
仰(かう)し晩(のち)に入道(にふたう)して社(やしろ)の側(かたはら)に庵室(あんしつ)を結(むす)ひて住(ちゆう)す別当(へつたう)玉蔵院(きよくさうゐん)は其 裔孫(えいそん)なりと云(いへ)り
鳥越里(とりこえのさと) 鳥越明神(とりこえみやうしん)の辺より大倉前(おほくらまへ)の辺まてをいへり北条家分限帳(ほうてうけふんけんちやう)に冨永善左衛門(とみなかぜんさゑもん)
江戸(えと)鳥越村(とりこえむら)の内(うち)を領(りやう)するよし記(しる)せり
《割書:尭恵北国記行に文明十八年十二月廿三日 隅田河(すみたかは)の辺(ほとり)鳥越といへる海村(かいそん)に善鏡(せんきやう)といへる翁(おきな)あり彼宅(かのいへ)|に笠やとりして閑林(かんりん)にあかめ置たる金光寺(こんくわうし)に在宿(さいしゆく)しはへり同十九年元日に》
おさまれる波をかけてや筑波根のやまとしまねに春の立らん 尭恵