翻刻
【右丁】
東照大権現宮(とうせうたいこんけんくうの)神影(しんえい)《割書:神祖(しんそ)并に 台徳公(たいとくこう)及(をよ)ひ 良雲尼公(りやううんにこう)の御寿影(おんしゆえい)をも寄附(きふ)せられ|共(とも)に三軸(さんちく)あり毎歳(まいさい)四月十七日御祭禮のとき諸人(しよにん)に拝(はい)せしむ》
江島弁財天(えのしまへんさいてん)祠《割書:当寺(たうし)の鎮守(ちんち)たり本尊(ほんそん)は画像(くはさう)にして弘法(こうほふ)大師の筆(ふて)なりといへり当寺(たうし)第二世|称誉(しようよ)上人 感徳(かんとく)ありてこゝに安(あん)せらる》
化用山(けようさん)常照院(しやうせうゐん)浄念寺(しやうねんし) 同所 西福寺(さいふくし)の北(きた)の通(とほり)にあり浄土宗(しやうとしう)開山(かいさん)は性誉(しやうよ)上人
露休和尚(ろきうおせう)にして永禄(えいろく)年中の草創(さう〳〵)とそ本尊(ほんそん)阿弥陀如来(あみたによらい)は慈覚(しかく)大師の作(さく)
《割書:作(つく)り収(おさめ)の尊像(そんさう)と称(しよう)す胎中(たいちゆう)に鑿(のみ)|鋸(のこきり)等(とう)を入(いれ)収(おさ)む其 長(たけ)二尺三寸なり》寛永(くはんえい)十二年 駿河台(するかたい)より今の地(ち)に移(うつ)る《割書:境内(けいたい)に慈覚(しかく)|大師の作(さく)の》
《割書:聖観音(しやうくわんおん)をよひ土中(とちゆう)出現(しゆつけん)の|渡唐(とたう)の天神 等(とう)を安置(あんち)す》
正保山(しやうほさん)東漸寺(とうせんし) 医王院(いわうゐん)と号(かう)す天台宗(てんたいしう)にして東叡山(とうえいさん)に属(そく)す浄念寺(しやうねんし)の北に
あり本尊(ほんそん)薬師如来(やくしによらい)は行基大師(きやうきたいし)の作(さく)なり《割書:書写性空(しよしやのしやうくう)上人 常(つね)に護持(こち)の霊像(れいさう)にして脇士(けふし)|に十二 神将(しんしやう)の像(さう)を置 世俗(せそく)かはらけ薬師(やくし)と》
《割書:称(しよう)す寄願(きくわん)ある者(もの)かならす|かはらけを供(くう)するの故(ゆへ)なり》開山は慈覚(しか[く])大師にして太田道灌(おほたたうくわん)再興(さいこう)す始(はしめ)御城内(こしやうない)にあ
りしを後(のち)に神田芝崎村(かんたしはさきむら)に移(うつ)し又 正保(しやうほ)年中 今(いま)の地(ち)へうつせり
手向野(たむけの) 《割書:寛文(くはんふん)の頃(ころ)戸田茂睡(とたもすい)といへる哥人(かしん)此所(このところ)に草庵(さうあん)をむすひしはらく住(すめ)り一子伊右衛門なるもの|天和(てんわ)二年十八歳にして卒(そつ)せり故(ゆへ)に此 手向野(たむけの)に葬(はふむ)り傍(かたはら)に碑(ひ)を立(たて)て手向野(たむけの)と彫(ゑり)て和哥(わか)を》
《割書:記(しる)す其地は同所 金龍寺(きんりうし)の境内(けいたい)にして茂睡 夫婦(ふうふ)並(ならひ)に一子伊右衛門か墓(はか)さへありされは金龍寺のあたりを手向野と紫の|一本(ひともと)にもいひしなるへしされと新寺町 東陽寺(とうようし)の境内なるよし諸書に載(の)せ東陽寺にも今は此茂睡か哥さへ石碑にえりたり》
《割書:或人云此辺 往古(むかし)は奥州海道(あうしうかいたう)にして刑罪場(けいさいば)なり其頃 往来(ゆきゝ)の人 香花(かうけ)なと手向けれはかく唱(とな)へしといへともしるへからす| 風の音苔のしつくもあめつちの絶ぬ御法の手向にはして 茂睡》
【左丁】
東本願寺(ひかしほんくはんし)
十一月廿二日より
同しく廿七日迄
開山忌(かいさんき)にて門(もん)
徒(と)の道俗(たうそく)
群参(くんさん)す
【図】
【枠内】塔中
【枠内】塔中
【枠内】惣門
門跡前通り
此辺
あま
さけや
おほし