翻刻
【右丁】
東本願寺(ひかしほんくわんし) 新堀端大通(しんほりはたおほとほり)にあり開山(かいさん)教如(けうによ)上人 其先(そのさき)本山(ほんさん)の住(ちゆう)
職(しよく)たりしを豊臣家(とよとみけ)のはからひとして順如(しゆんによ)上人《割書:教如(けうによ)上人|の舎弟(しやてい)也》を本寺(ほんし)の門跡(もんせき)に定(さた)め
られ教如(けうによ)上人をは故(ゆへ)なく退隠(たひいむ)せしめ裏屋舗(うらやしき)に置(をか)れしを《割書:此故に東門跡(ひかしもんせき)を|裏方(うらかた)とはいへり》
神祖(しんそ)竟(つゐ)に 召出(めしいた)され開祖(かいそ)上人の真影(しんえい)を御寄附(こきふ)ありて六条室町(ろくてうむろまち)の末(すへ)にて
新(あらた)に御堂屋舗(みたうやしき)を下(くた)し賜(たまは)る夫(それ)より後(のち)東西(とうさい)とわかる《割書:其後(そのゝち)江戸(えと)に末寺(まつし)建立(こんりふ)あり度由(たきよし)|訟(うつた)へ則 神田(かんた)にて寺地(てらち)を拝領(はいりやう)す》
《割書:一宇を建(たて)て京都よりの輪番所(りんはんしよ)となり江戸中(えとちゆう)の門徒(もんと)を勧化(くはんけ)す|其地(そのち)今(いま)昌平橋(しやうへいはし)の外(そと)加賀屋敷(かゝやしき)と唱(となふ)る所(ところ)也 明暦(めいれき)の後(のち)今の地(ち)に移(うつ)されたり》当寺(たうし)は朝鮮人(てうせんしん)来聘(らいへい)の
砌(みきり)旅館(りよくはん)となる
立花会(りつくはゑ)《割書:毎年(まいねん)七月七日 興行(こうきやう)す|参詣(さんけい)の人に見物(けんふつ)を許(ゆる)す》開山忌(かいさんき)《割書:毎年十一月廿二日より同廿八日まての間 読経説法等(とくきやうせつほふとう)あり|俗(そく)に是(これ)を御講(おこう)と称(しやう)す一に報恩講(ほうおんこう)ともいふそのあひた》
《割書:門徒(もんと)の貴賤(きせん)|群参(くんさん)せり》
高龍山(かうりうさん)報恩寺(はうおんし) 謝徳院(しやとくゐん)と号(かう)す東本願寺(ひかしほんくわんし)の東(ひかし)に隣(とな)る一向派(いつかうは)にして宗(しう)
祖(そ)上人の遺跡(ゆいせき)二十四 輩所(はいしよ)の随(すい)一なり当寺(たうし)は下総国(しもつふさのくに)豊田(とよた)の左(しやう)【庄ヵ】横曾(よこそ)
根(ね)に有(ある)事 数(す)十世 後(のち)結城(ゆふき)の城主(しやうしゆ)七郎左衛門 晴朝(はるとも)の臣(しん)多賀谷何某(たかやなにかし)
といへる者(もの)の為(ため)に寺領田園等(しりやうてんゑんとう)を押領(あふりやう)せられ終(つゐ)に武州(ふしう)に移(うつ)り桜(さくら)
【左丁】
【図】
報恩寺(はうおんし)
【枠内】田原町
【枠内】塔中
【枠内】清光寺
【枠内】浅草寺
【枠内】表門
【枠内】鐘
【枠内】塔中
【枠内】報恩寺
【枠内】裏門