翻刻
【右丁 絵図】
赤羽山(あかはねやま)八幡宮(はちまんくう)
本社
神主
宝幢院
【左丁】
川口(かはくち)善光寺(せんくわうし) 川口村(かはくちむら)渡場(わたしは)の北にあり天台宗(てんたいしう)にして平等山(ひやうとうさん)阿弥陀院(あみたゐん)
と号(かう)す本堂(ほんたう)には阿弥陀(あみた)如来(によらい)観音(くわんおん)勢至(せいし)一光(いつくわう)三尊(さんそん)を安(あん)す寺伝(してんに)曰(いはく)
往古(むかし)定尊(ちやうそん)といへる沙門(しやもん)あり法華経(ほけきやう)を誦(しゆ)するの涯(ほか)他(た)なし建久(けんきう)五年
の夏(なつ)一時(あるとき)睡眠(すいみん)の中(うち)に信州(しんしう)善光寺(せんくわうし)如来(によらい)の霊告(れいかう)を得(う)る事(こと)あつて直(たゝち)に
かしこにまふて正(まさ)しく如来(によらい)の聖容(しやうよう)を拝(はい)す示現(しけん)に依(よつ)て十万(しつはう)に勧進(くはんしん)
し財施(さいせ)を集(あつめ)金銅(こんとう)を以(もつ)て中尊(ちうそん)阿弥陀仏(あみたふつ)を鋳(い)奉(たてまつ)る時(とき)建久(けんきう)六年
己卯五月十五日なり《割書:仏(ほとけ)の御胸中(おんけうちう)には三寸五分の水晶(すいしやう)の宝塔(はうとふ)をこめ|うちに仏舎利(うつしやり)四十八顆を収(おさ)めたてまつる》同六月廿八日廿九日
に脇士(けうし)観音(くはんおん)勢至(せいし)の二尊(にそん)を鋳(い)奉(たてまつ)る終(つい)に堂宇(たうう)を建立(こんりふ)して善光寺(せんくわうし)と
号(かう)す《割書:御告(おんつけ)に依(よつ)て四十八日の間(あひた)四十八 度(と)の開眼(かいけん)供養(くやう)を修行(しゆきやう)しけるに本師(ほんし)如来(によらい)の降臨(こうりん)あつて|当仏(たうふつ)の頂(いたゝき)を摩(なて)てともに開眼(かいけん)したまふよし当寺(たうし)縁起(えんき)に詳(つまひらか)なり》
二王門(にわうもん)の額(かく)に平等山(ひやうとうさん)とあるは黄檗(わうはく)木庵(もくあん)の筆(ふて)なり
豊島(としまの)駅(むまや) 今(いま)豊島村(としまむら)と号(かう)する地(ち)其(その)旧跡(きうせき)にして往古(むかし)は此郡(このこほり)の府(ふ)なり
しと見(み)ゆ続日本記(しよくにほんき)に武蔵国(むさしのくに)乗潴《割書:今(いま)其所(そのところ)をしらす|訓(くん)も又(また)詳(つまひらか)ならす》豊島(としま)の二駅(にゑき)の事(こと)を
挙(あけ)たり又(また)和名抄(わみやうせう)に武蔵国(むさしのくに)豊島郡(としまこほり)とある中(うち)駅家と記(しる)せるは恐(をそら)らくは