翻刻
【右丁 絵図】
鍋屋(なへや)の井(ゐ)
世(よ)に名(な)
高(たか)し
【左丁】
此地(このち)ならん欤(か)《割書:或(ある)人 云(いはく)豊島(としま)系譜(けいふ)に堀河院(ほりかはのゐんの)御宇(きよう)豊島(としま)太郎(たらう)義近(よしちか)と云し人此地にありて|八幡(はちまん)太郎(たらう)義家(よしいへ)に仕(つか)へし由(よし)を載(の)すと云云 東鑑(あつまかゝみ)に仁治(にんち)二年四月廿五日の条下(てうか)に》
《割書:大宮(おほみやの)三郎 盛員(もりかす)豊島(としま)又(また)太郎 時光(ときみつ)と武蔵国(むさしのくに)豊島庄(としまのしやう)犬食名(いぬくいみやう)を相論(あいろん)するは大宮(おほみや)の有忠(ありたゝ)か四一半(しいちはん)を打(うつ)|より事(こと)起(おこ)るとあれは豊島氏(としまうち)代々(たい〳〵)こゝに住(ちう)せしと見えたり又(また)鎌倉(かまくら)大草紙(おほさうし)に文明(ふんめい)九年 豊島(としま)勘解由(かけゆ)》
《割書:左衛門尉(さゑもんのせう)泰経(やすつね)舎弟(しやてい)平衛門(へいゑもん)泰明(やすあきら)平塚(ひらつか)の城(しろ)にありて道潅(たうくわん)といとみ戦(たゝか)ひ終(つゐ)に討死(うちしに)し明(あくる)十年|正月 落城(らくしやう)すとあれは文明(ふんめい)の頃(ころ)は豊島村(としまむら)の地(ち)には住(ちう)せさりしならん永禄(えいろく)年中北条(ほうてう)分限帳(ふんけんちやう)に》
《割書:太田(おほた)新六郎(しんろくらう)知行(ちきやう)の中(うち)に江戸(えと)豊島(としま)の地名(ちめい)を加(くは)ふ按に永禄の頃は太田新六郎知行|せしと見へたり》
三縁山(さんえんさん)西福寺(さいふくし) 豊島(としま)にあり禅宗(せんしう)にして行基(きやうき)菩薩(ほさつ)の開基(かいき)なり本尊(ほんそん)
阿弥陀(あみた)如来(によらい)も同作なり《割書:豊島(としま)権頭(こんのかみ)清光(きよみつ)建立(こんりふ)|ありし七仏(しちふつ)の随一(すいいち)なり》当寺(たうし)は六阿弥陀第壹番目に
して是(これ)を元木(もとき)の如来(によらい)と云(いふ)縁起(えんき)あれとも未詳(いまたつまひらか)ならす四番目 小石川(こいしかは)
光円寺(くわうゑんし)の条下(てうか)と照(てら)し合(あは)せて見るへし《割書:二王門(にわうもん)にかくる三縁山(さんえんさん)の額(かく)は|三国(さんこく)筆(ひつ)海堂(かいたう)の筆(ふて)なり》
梶原塚(かちはらつか) 梶原(かちはら)堀内(ほりのうち)豊島川(としまかは)の河曲堤(かはくまつゝみ)の本(もと)にあり《割書:昔(むかし)は寺院(しゐん)もありしかと|そのかみ洪水(こうすい)の時(とき)川(かは)へ欠込(かけこみ)て》
《割書:亡(ほろひ)ぬる|とそ》此 塚(つか)は太田(おほた)美濃守(みのゝみ)入道(にうたう)資正(すけまさ)《割書:法名(ほふみやう)道誉(たうよ)又|三樂斉(さんらくさい)と号(かう)す》の次男(しなん)梶原(かちはら)源太(けんた)政景(まさかけ)の
墳墓(ふんほ)なり《割書:梶原(かちはら)上総介(かつさのすけ)か後家(こけ)養子(やうし)とす|始(はしめ)謙信(けんしん)に属(そく)し後(のち)佐竹(さたけ)の幕下(はくか)たり》享保(きやうほ)の頃迄(ころまて)は石碑(せきひ)石檀(せきたん)ありしか
洪水(こうすい)の時(とき)豊島川(としまかは)へ崩(くつ)れ込(こみ)けるとて今(いま)は小笹(をさゝ)の中(うち)に一株(いつちゆう)の松(まつ)のみ存(そん)
せり《割書:永禄(えいろく)二年北条家分限帳に太田(おほた)新六郎(しんろくらう)知行(ちきやう)の内(うち)に|梶原(かしはら)堀内(ほりのうち)にて渋江分(しふゑふん)の地(ち)を加(くは)へたり》