翻刻
述懐(じゆつくわい) 魏徴(ぎちよう)
中原還(ちんげんまた)逐(おふ)_レ鹿(しかを)。投(たうじて)_レ筆(ふでを)事(ことゝす)_二戎軒(じうけんを)_一。縱横計(じうわうはかりこと)不(ざれども)_レ就(なら)。慷(かう)
慨(がい)志猶存(こゝろざしなをそんす)。仗(ついて)_レ策(さくを)謁(えつし)_二 天子(てんしに)_一。駆(はせて)_レ馬(うまを)出(いづ)_二関門(くわんもんを)_一。請(こふて)_レ纓(えいを)
繋(つなぎ)_二南粤(なんえつを)_一。憑(よつて)_レ軾(しよくに)下(くだす)_二東藩(とうはんを)_一。鬱紆(うつうとして)陟(のぼり)_二高岫(かうじふに)_一。出没(しゆつぼつして)望(のそむ)_二
平原(へいげんを)_一。古木(こぼく)鳴(なき)_二寒鳥(かんてう)_一。空山(くうざん)啼(なく)_二夜猿(やえん)_一。既(すでに)傷(いたましめ)_二千里(せんりの)
目(めを)_一。還(かへつて)驚(おどろかす)_二 九折魂(きうせつのこんを)_一。豈(あに)不(ざらんや)_レ憚(はゞから)_二艱険(かんけんを)_一。深(ふかく)懷(おもふ)_二国士恩(こくしのおんを)_一。
季布(きふ)無(なく)_二 二諾(じだく)_一。侯嬴(こうえい)重(おもんず)_二 一言(いつげんを)_一。人生(じんせい)感(かんず)_二意気(いきに)_一。功(こう)
名(めい)誰復論(たれかまたろんぜん)。 【印「松軒」】
《割書:唐(たう)の太祖(たいそ)の二 代目(だいめ)太宗(たいそう)の天下(てんか)となる兄(あに)の建成(けんせい)主従(しう〴〵)不承知(ふせうち)ゆへみやこちかく物(もの)さわ|がしく太宗(たいそう)の臣下(しんか)は彼(かれ)を亡(ほろぼ)さんとす太宗(たいそう)軍(いくさ)を出すは乱(らん)のもとなり魏徵(ぎちよう)と云 忠臣(ちうしん)をめし|乱(らん)をしづめくれよと仰(あふせ)ゆゑ後漢(ごかん)の班超(はんてう)が故事(こじ)にに【「に」衍字ヵ】ならひ文官(ぶんくわん)なれ共/筆(ふで)を投(なげ)す|て武事(ぶじ)を専(もつは)らにし蘇秦(そしん)張儀(ちやうぎ)が縦横(じうわう)のはかりごとはならねどもさて〳〵なげかしと|思(おも)ふ志(こゝろざし)はわすれず策(むち)をつゑにし御いとまごひを申 馬(うま)に乗(のり)かんこく関(くわん)をうち出る|むかし終軍(しうぐん)は纓(えい)を請(こふ)て南越王(なんえつわう)帰伏(きふく)せずは首(くび)をしばり帝(みかど)へ引来(ひききたら)んと云/酈生(れきせい)は|弁舌(べんぜつ)にて斉(せい)の七十/余城(よじやう)を軍(いくさ)せず下(くだ)したるにならはんと思ひ草木(さうもく)しげき山(やま)の|岫(くき)を越(こえ)又は谷合(たにあひ)に入たり出たり平地(へいち)を望(のぞみ)て行道(ゆくみち)大(おほ)ひなる古木(こぼく)に鳥(とり)がさむ|さうに鳴(なく)人もなき処に宿(しゆく)すれば空山(くうざん)に猿(さる)ないてものかなし故郷(ふるさと)の方(かた)をかへりみ|れば遠(とを)くへだゝるをいたみ難所(なんじよ)をこえては九折(つゞらをり)に魂(たましひ)をひやすかゝるかんなんはおそ|るゝながら太宗(たいそう)の我(われ)を国士(こくし)じや器(き)りようものじやと思(おぼ)し召下(めしくだ)さるゝが忝(かたじけな)さ|漢(かん)の季布(きふ)は一たび約(やく)しては命(いのち)にかへても詞(ことば)をかへず魏(ぎ)の侯嬴(こうえい)が一/言(ごん)を差(たが)へず自(じ)|殺(さつ)せしも意気(いき)を感(かん)ずるゆゑ也/今(いま)此身(このみ)もかんなんをかまはぬも天下(てんか)やすく天子(てんし)|平安(へいあん)をねがふのみ功名(こうめい)をなさんためにあらずと也