翻刻
小笠原流(をがさはらりう)の諸礼(しよれい)の如(ごと)くじや軽紈(けいぐわん)細綺(さいき)は色々(いろ〳〵)薄物(うすもの)の反物(たんもの)を追々(おひ〳〵)に下された歴々(れき〳〵)方の
座敷(ざしき)なども将軍(しやうぐん)に絵(ゑ)を頼(たの)み筆跡(ひつせき)を得て屏風(びやうふ)からかみふすまの類あの人の座しきには
曹将軍(さうしやうぐん)の画(ゑ)が有といへば人が格別(かくべつ)に思(おも)ふ様(やう)にある以上馬九ツありとみゆる昔(むかし)太宗(たいそう)の拳(けん)
毛騧(もうくうわ)近(ちか)ごろ郭子儀(くわくしぎ)が獅子花(ししくわ)と今の新図(しんづ)に此二疋を画がきまさしく生(いき)た様(やう)にある
ゆへ拳毛騧(けんもうくわ)獅子花(ししくわ)などを見知た者(もの)が見ると扨(さて)〳〵よく出来(でき)たと胆(きも)をつぶしかん
しんたんそくする此二疋は戦場(せんじやう)には一 疋(ひき)が万に敵(てき)するすぐれもの共じや白(しろ)い絵絹(ゑきぬ)に二 疋(ひき)の
馬を画(ゑがい)て有が地(ぢ)の白(しろ)いが漠々(ばく〳〵)と砂漠(さばく)のごとくみゆるそれをおしひらひて生る馬が出る
やうにてあたりの白(しろ)い所(ところ)迄 沙漠(さばく)のやうにみゆ外七 疋(ひき)もいきほひすぐれ迥然(けいぜん)と寒空(さむそら)雪(ゆき)ふるけし
きをみるごとくそつとするばかり蹄(ひづめ)もつよく霜(しも)をふむいきほひ長楸(ちやうしう)の並木(なみき)の間などに蹴(しう)
踏(たふ)するさまを書(かい)ていきておどるごとく馬役人(うまやくにん)が廝養(しやう)の様子(やうす)列(れつ)をなして居るていじや
九馬(きうば)神駿(しんしゆん)を争(あらそ)ふさまみるにも愛(あい)すべし気象(きしやう)高(だか)に後向(うしろむき)のさまがおんこうに見ゆる借(しや)
問(もん)す出精(しゆつせい)苦心(くしん)して愛(あい)するは誰(たれ)であらういにしへは支遁(しとん)が馬(うま)すきで有たが今は御亭主(ごていしゆ)の
韋諷録事(ゐふうろくじ)其元(そのもと)が馬(うま)ずきじや是(これ)について思(おも)ひ出(だ)す玄宗(げんそう)さかんの時(とき)翠華(すゐくわ)の旌(はた)を立(たて)て
新豊宮(しんほうきう)へ御幸(みゆき)の時(とき)足(あし)達者(たつしや)に力量(りきりよう)すぐれた馬(うま)を三万 匹(ひき)ほど御つれなされしが皆(みな)此(この)
図(づ)の馬(うま)と筋骨(きんこつ)同(おな)じく丈夫(ぢやうぶ)にあつた騰驤(たうじやう)は馬(うま)の足(あし)達者(たつしや)なこと周(しう)の穆天子(ぼくてんし)が河宗(かそう)
伯夭(はくえう)と云 水神(すゐじん)の処へ幸(みゆき)ありしかば束帛(そくはく)を献じ加璧(かへき)の礼(れい)を行(おこなふ)たゆへ天子(てんし)の宝器(はうき)を
伯夭(はくえう)に御見せなされたことがある又(また)漢(かん)の武帝(ぶてい)が河水(かうすゐ)を渡(わた)る時(とき)河中(かうちう)で命(めい)して蛟(みづち)を射(い)さ
せられた玄宗(げんそう)は豪傑(がうけつ)で古(いにしへ)の穆天子(ぼくてんし)の河伯(かはく)を呼出(よびだ)して宝(たから)を献(けん)じさせたやうなこと
も有つたが今(いま)は崩御(ほうぎよ)なされた漢(かん)の武帝(ぶてい)蛟(みづち)を射(い)させたやうな気象(きしやう)の天子(てんし)もないと
天子(てんし)の故事(こじ)を二ツ出し玄宗(げんそう)を惜(をし)む君(きみ)見ずやと七 言(ごん)に三 字(じ)くわへて詞(ことば)を改(あらた)め玄宗(げんそう)の
様(やう)な気象(きしやう)な天子(てんし)も金粟堆(きんぞくたい)の松柏(しようはく)の中(なか)に陵(みさゝぎ)が立(たち)有(あり)て龍(りよう)の媒(なかだち)にもなるやうな馬(うま)は
去尽(さりつく)してたゞ野鳥(のとり)など空(むな)しく風(かぜ)に呼(よば)はつて居(ゐ)るを聞(きく)のみじやと当時(たうじ)粛宗(しくそう)の
勢(いきほひ)のないことを云(いふ)穆天子(ぼくてんし)の故事(こじ)を出(だ)したは八 駿(しゆん)名馬(めいば)の縁(えん)が有(あり)て的中(てきちう)の句(く)じや
折(をり)ふし長語(ちやうご)を交(まじゆ)る古詩(こし)のもちまいじや