翻刻
等有之との噂いたす事也
一同戌十一月十三日前〻記置上岩原村勝右衛門
熊府井手の口ニおひて刎首被仰付候
寔以若気とは云なから無分別より親
兄弟の泪のたねとそなりけり
一同戌十二月廿七日之晩山鹿手永椿井村
正泉寺御堂焼失幷くり隠宅其外
少も不残一時の煙りとなりけり尤御堂
渡戸之上より火おこりいか様天火といへる
なるかと取〻評判いたす事也
一寛政三年亥正月十九日晩上岩原村
田代大工宇助娘生年四才ニて焼死いたし
同日夕飯の汁湯たきり居候を打かぶり
即死いたし扨〻無念の事ニ候少年の養育
は其親の心得有度事共也
一同亥正月廿九日之晩熊本本明寺本堂
焼失いたし兼日きれひニて何一ツの塵りみたり
もなき所に出火有之希稀の噂迄なり定テ
天火歟といへる尤十六間四面之御堂也
一同年亥二月当所扇田下ケ名横山殿御配地之内
伊三次抱高之内ニて歌舞妓芝居有之尤高場
役者ニて二月十九日ニ入込三月十日迄ニて仕舞ニ成り大当り