翻刻
一同年亥六月十四日ゟ漸々天気晴候故村々共ニ
粟蒔ニかゝり根付仕置候処又々七月六日七日
大雨ニて洪水故大河筋根付の粟皆無ニ成り
河端方旁難渋仕何分ニ成行候哉との噂共也
一同年亥七月七日ニ雨降り夫ゟ照り続八月十四日
迄の大ひでり故畑作難渋いたし極々之不作ニて
皆々困窮の様也尤右の間ニ此方角四五ケ村は
少々夕立いたし候か也
一同年亥十月九日山鹿町宗方屋本田里次殿
生年三十一才なるに御用ニて馬上より出府被
致候かに熊本近所大久保の辺ニて時雨いたし
故馬上ニて傘をひらかれけるに馬恐れ
飛出し落馬いたされ即死程の病故あわ
てひしめき山鹿へ追々の飛脚ニて人柱櫛
の歯を引ことく病人は熊本しるべの方へ向イ
死て医療云計なけれど終に終命となり
いか様早風かと評判いたしとかく無常の
垣は越へられぬことは兼て我人知りなから
油断は常の習ひそかし
一寛政四子二月廿二日東本願寺乗如上人
御遷化被為遊候