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街道筋近郷聞書
東海道ハ保土がやかきり神奈川宿所々くづれ
多し本牧金沢鎌くら江の嶋浦賀辺まで
▲中山道ハ上州高崎限り此海道地ゟ砂わき出清水
あふるゝ所諸所あり蕨宿ゟ大宮の間さハり多し
▲甲州かい道ハ王子限り海道格別の事なし
▲日光街道ハ宇都宮限り街道筋くづれこれ
あり候分ハ草加辺也
▲水戸街道ハ土浦を限り街道筋所々に見
ゆる下総ハ逆井近辺ふるひつよく行徳船橋
辺同断葛西領二合半領ハくづれ所々なり又
松戸市川柴又辺も崩れ多しと聞く其外在
郷市中とも見積り候所高場の地ハ格別の事
無之低き地所ハ多分いたみつよき方二相見へ申候
大坂表文書抜書
九月廿八日夜地震いりて大坂平野橋箒町
覗ばし筋大いに崩れ此辺人多く損じ候よし
又尾州名古屋遠州浜松も城下少々やける
右ハ同時ぢしんありしよし伝へ申候
九月廿九日八代目団十郎弟猿蔵大坂若太夫
座にて不破伴左衛門と関取濡髪の役をつとめ
興行中死去いたし候法号
実誉義筵孝安信士《割書:九月廿九日|年廿一才》
江戸芝居丁類焼の中にて残り候分役者
居宅ハ坂東吉弥 中村福助 市村羽左衛門
森田勘彌 尾上菊次郎その外茶屋二三
けん残る
●土蔵大崩れの分 六万七千五百余
●同少いたミの分八万六千四百余
●けが人凡 十万千余人
●吉原同断 千五百五十余
外料りやスし通ふもの三万弐千余人