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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之1 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之1 - ページ 49

ページ: 49

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【挿し絵】 主水井(もんとのゐ) 【左ページ】  侯(こう)の弟宅(ていたく)ありし故(ゆゑ)に又 大炊殿橋(おほいとのはし)とも号(かうし)たるとなり 《割書:事跡合考(しせきかつかう)に|云(いは)く昔(むかし)は神田(かんた)》  《割書:橋(はし)の外(そと)に茅商人(かやあきんと)あまた住(ちゆう)す今(いま)の八丁堀(はつちやうほり)の茅場町(かやはちやう)是(これ)なり又 其後(そのゝち)|本所(ほんしよ)にも遷(うつ)さるゝ今(いま)本所(ほんしよ)の茅場町(かやはちやう)といふはこの故(ゆゑ)なりと云々》 此御門(このこもん)の  外(そと)の町(まち)をすへて神田(かんた)と号(なつ)く 護持院旧地(ごちゐんきうち) 神田橋(かんたはし)と一橋(ひとつはし)との間(あひた)御溝(おんほり)の外(そと)の芝生(しはふ)を云(いふ)此所(このところ)は  大塚護持院(おほつかこちゐん)の旧址(きうし)なり 《割書:元禄年間(けんろくねんかん)柳原(やなきはら)の南(みなみ)にありし知足院(ちそくゐん)を引て|護持院(こちいん)と号(なつけ)られ殿堂(てんたう)御建立(ここんりふ)ありしか享保(きやうほ)》  《割書:回録(くわいろく)の後(のち)大塚(おほつか)の地(ち)へ|移(うつ)され後(のち)明地(あきち)となる》 林泉(りんせん)の形(かたち)残(のこ)りて頗(すこふ)る佳景(かけい)なり夏秋(かしう)の間(あひた)是(これ)を  開(ひら)かせられ都下(とか)の人こゝに遊(あそ)ふ事をゆるさる冬春(とうしゆん)の間(あひた)は時(とき)として  大将軍家(たいしゃうくんけ)こゝに御遊猟(こいうりやう)あり故(ゆゑ)に此所(このところ)を新駒(しんこま)か原(はら)とも唱(とな)ふる  となり世俗(せそく)は護持院(こちゐん)の原(はら)と呼(よ)へり 菰(まこも)か淵(ふち) 元飯田町(もといひたまち)の東(ひかし)の入堀(いりほり)をしか号(なつ)く蟋蟀橋(きり〳〵すはし)と云は同所 北(きた)の  方(かた)の小溝(こみそ)に架(わた)す石橋(いしはし)の号(かう)なり又 小川町(おかはまち)より九段坂(くたんさか)へ向(むか)ふ所(ところ)の  橋(はし)を今(いま)魚板橋(まないたはし)と唱(とな)ふ 《割書:又 俎板(まないたはし)|に作(つく)る》 されと其所以(そのゆゑん)をしらす 《割書:江戸名勝志(えとめいしようし)|に此川(このかは)を飯(いひ)》  《割書:田川(たかは)と云と|しるせり》 世継稲荷(よつきいなり)は飯田町(いひたまち)の中坂(なかさか)にあり文安(ふんあん)の頃(ころ)より此地(このち)に