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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之1 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之1 - ページ 62

ページ: 62

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 御大工棟梁(おんたいくとうりやう)弁慶(へんけい)小左衛門といへる人の工夫(くふう)によりて懸初(かけはしめ)しと  いへり此地(このち)の形(かたち)に応(おう)し衢(ちまた)を横切(よこきり)て筋替(すちかへ)にかくる尤(もつとも)奇(き)なり 【挿し絵】   岩本町   松枝町   水   水   弁慶橋之図   元岩井町   横山町三丁目代地 【挿し絵ここまで】 柳原封壃(やなきはらのとて) 筋違橋(すちかひはし)より浅草橋(あさくさはし)へ続(つゝ)く其間(そのあひた)長(なかさ)凡(およそ)十町 斗(はかり)あり  享保(きやうほ)年間(ねんかん)此所(このところ)の堤(つゝみ)に悉(こと〳〵)く柳(やなき)を栽(うゑ)させらる 《割書:寛永(くわんえい)十一年の江戸絵図(えとゑつ)|には柳堤(やなきつゝみ)とあり》  堤(つゝみ)の外(そと)は神田川(かんたかは)なり又 此堤(このつゝみ)の下(した)に柳森稲荷(やなきのもりいなり)と称(しやう)する叢(さう)祠あり  故(ゆゑ)に此地(このち)を稲荷河岸(いなりかし)と呼(よ)へり 《割書:昔(むかし)は神田川(かんたかは)の隔(へたて)もなく此川(このかは)の南北(なんほく)ともに|おしなへて柳原(やなきはら)といひし広原(くわうけん)なりしとなり》 馬場(はゝ) 馬喰町(はくろちやう)三丁目の西北の裏通(うらとほり)にあり江戸馬場(えとはゝ)の中(うち)最(もつと)も古(ふる)し  慶長(けいちやう)五年 関(せき)か原(はら)御陣(こちん)の時(とき)御馬揃(おんうまそろへ)ありし所(ところ)なりと云(いひ)伝(つた)ふ  御馬工郎(おんはくらう)高木源兵衛(たかきけんひやうゑ)是(これ)を預(あつか)り奉(たてまつ)る 《割書:此地(このち)を馬喰町(はくらふちやう)といふも此(この)御由緒(こゆいしよ)によりて|なり昔(むかし)は富田半七(とみたはんしち)と高木源兵衛(たかきけんひやうゑ)と両人(りやうにん)》  《割書:まりしとそ寛永(くわんえい)廿年開板(かいはん)あつまめくりといへる草紙(さうし)に末(すゑ)は馬喰町(はくらふちやう)とかや侍(さふらひ)あまたうち|つれてこゝにくり毛(け)の馬(うま)もありあるひは月毛(つきけ)鹿毛(かけ)かすけ皆(みな)せめ事とうちみえて云々 其頃(そのころ)は》  《割書:追廻(おひまは)しといひて左(さ)の如(こと)き形(かたち)なりしとなり寛永(くわんえい)明暦(めいれき)延宝(えんはう)等(とう)の江戸絵図(えとゑつ)にしかしるせり| 》 【挿し絵】  四丁目  三丁目  二丁目  はくろう丁  馬場 追廻し  唯念寺  法泉寺  日■ゐん  聖徳寺  浄安寺  せんとくし  ■■寺  本泉寺  大正寺 【挿し絵ここまで】 浅草橋(あさくさはし) 神田川(かんたかは)の下流(かりう)浅草御門(あさくさこもん)の入口(いりくち)に架(わた)す此 所(ところ)にも御高札(こかうさつ)を建(たて)