翻刻
御大工棟梁(おんたいくとうりやう)弁慶(へんけい)小左衛門といへる人の工夫(くふう)によりて懸初(かけはしめ)しと
いへり此地(このち)の形(かたち)に応(おう)し衢(ちまた)を横切(よこきり)て筋替(すちかへ)にかくる尤(もつとも)奇(き)なり
【挿し絵】
岩本町
松枝町
水
水
弁慶橋之図
元岩井町
横山町三丁目代地
【挿し絵ここまで】
柳原封壃(やなきはらのとて) 筋違橋(すちかひはし)より浅草橋(あさくさはし)へ続(つゝ)く其間(そのあひた)長(なかさ)凡(およそ)十町 斗(はかり)あり
享保(きやうほ)年間(ねんかん)此所(このところ)の堤(つゝみ)に悉(こと〳〵)く柳(やなき)を栽(うゑ)させらる 《割書:寛永(くわんえい)十一年の江戸絵図(えとゑつ)|には柳堤(やなきつゝみ)とあり》
堤(つゝみ)の外(そと)は神田川(かんたかは)なり又 此堤(このつゝみ)の下(した)に柳森稲荷(やなきのもりいなり)と称(しやう)する叢(さう)祠あり
故(ゆゑ)に此地(このち)を稲荷河岸(いなりかし)と呼(よ)へり 《割書:昔(むかし)は神田川(かんたかは)の隔(へたて)もなく此川(このかは)の南北(なんほく)ともに|おしなへて柳原(やなきはら)といひし広原(くわうけん)なりしとなり》
馬場(はゝ) 馬喰町(はくろちやう)三丁目の西北の裏通(うらとほり)にあり江戸馬場(えとはゝ)の中(うち)最(もつと)も古(ふる)し
慶長(けいちやう)五年 関(せき)か原(はら)御陣(こちん)の時(とき)御馬揃(おんうまそろへ)ありし所(ところ)なりと云(いひ)伝(つた)ふ
御馬工郎(おんはくらう)高木源兵衛(たかきけんひやうゑ)是(これ)を預(あつか)り奉(たてまつ)る 《割書:此地(このち)を馬喰町(はくらふちやう)といふも此(この)御由緒(こゆいしよ)によりて|なり昔(むかし)は富田半七(とみたはんしち)と高木源兵衛(たかきけんひやうゑ)と両人(りやうにん)》
《割書:まりしとそ寛永(くわんえい)廿年開板(かいはん)あつまめくりといへる草紙(さうし)に末(すゑ)は馬喰町(はくらふちやう)とかや侍(さふらひ)あまたうち|つれてこゝにくり毛(け)の馬(うま)もありあるひは月毛(つきけ)鹿毛(かけ)かすけ皆(みな)せめ事とうちみえて云々 其頃(そのころ)は》
《割書:追廻(おひまは)しといひて左(さ)の如(こと)き形(かたち)なりしとなり寛永(くわんえい)明暦(めいれき)延宝(えんはう)等(とう)の江戸絵図(えとゑつ)にしかしるせり| 》
【挿し絵】
四丁目
三丁目
二丁目
はくろう丁
馬場 追廻し
唯念寺
法泉寺
日■ゐん
聖徳寺
浄安寺
せんとくし
■■寺
本泉寺
大正寺
【挿し絵ここまで】
浅草橋(あさくさはし) 神田川(かんたかは)の下流(かりう)浅草御門(あさくさこもん)の入口(いりくち)に架(わた)す此 所(ところ)にも御高札(こかうさつ)を建(たて)