翻刻
らる馬喰町(はくらふちやう)より浅草(あさくさ)への出口(てくち)にして千住(せんぢゆ)への官道(くわんたう)なり此東(このひかし)の大(おほ)
川口(かはくち)にかゝるを柳橋と号(なつ)く柳原堤(やなきはらつゝみ)の末(すゑ)にある故(ゆゑ)に名(な)とするとそ 《割書:此所(このところ)諸方(しよはう)へ|の貸船(かしふね)あり》
両国橋(りやうこくはし) 浅草川(あさくさかは)の末(すゑ)吉川町(よしかはちやう)と本所元町(ほんしよもとまち)の間(あひた)に架(わた)す長(なかさ)九十六 間(けん) 《割書:橋(はし)の|前後(せんこ)》
《割書:并(ならひに)橋上(きやうしやう)に番屋を|居(すゑ)て是(これ)を守(まも)らしむ》 万治(まんち)二年己亥 官府(くわんふ)より始(はしめ)て是(これ)を造(つく)り給ふ 《割書:三橋記(さんきやうき)|或(あるひ)は云(いふ)》
《割書:寛文(くわんふん)元年辛丑 新(あらた)に両国橋(りやうこくはし)を架(かけ)しめらる御普請奉行(こふしんふきやう)芝山(しはやま)坪内(つほうち)両氏(りやうし)に命(めい)せ|られしと云々旧名(きうみやう)を大橋(おほはし)と号(かう)す事跡合考(しせきかつかう)に万治(まんち)二年 東(ひかし)の大川筋(おほかはすち)に始(はしめ)て大(おほ)》
《割書:橋(はし)一ヶ所をかけらるゝとあるも此橋8このはし)の事なり又むさしあふみといへる草紙(さうし)|にも此橋(このはし)を大橋(おほはし)としるしてあり事跡合考(しせきかつかう)云 此橋(このはし)の形(かたち)は扇(あふき)を開(ひら)きたるにかたとると云々》
其昔(そのむかし)此川(このかは)を国界(くにさかい)とせしにより両国橋(りやうこくはし)の号(かう)ありといへとも今(いま)の
如(こと)く利根川(とねかは)を以(もつて)界(さかい)と定(さた)め給ふにより後(のち)は本所(ほんしよ)の地(ち)も同(おな)しく武蔵(むさしの)
国(くに)に属(そく)すといへとも橋(はし)の号(かう)は唱(とな)へ来(きた)るに任(まか)せて其侭(そのまゝ)改(あらため)られすと
なり 《割書:或人(あるひと)云(いは)く長享(ちやうきやう)三年丙寅春三月 利根川(とねかは)|の西(にし)を割(わり)て武蔵国(むさしのくに)に属(そく)せしめらるゝと云々》 此地(このち)の納涼(なうりやう)は五月廿八日に
始(はしま)り八月廿八日に終(おは)る常(つね)に賑(にき)はしといへとも就中(なかんつく)夏月(かけつ)の間(あひた)は尤(もつとも)
盛(さかん)なり陸(くか)には観場(みせもの)所(ところ)せき斗(はかり)にして其(その)招牌(せうはい)の幟(のほり)は風(かせ)に飄(ひるかへり)て
扁翻(へんほん)たり両岸(りやうかん)の飛楼高閣(ひろうかうかく)は大江(たいかう)に臨(のそ)み茶亭(さてい)の床几(しやうき)は水辺(すゐへん)に立(たて)