翻刻
さる事もあるへしと斗思し文化度に水溜或は泉水の
水のあふれし程に震し事はしかと覚はるさりなから家居
のかたむき崩れるほとのことにもなかりしに此度は江戸近
くに至るまて震一時に潰崩なとする大地震にそありける其
元禄十六年十一月廿二日丑刻江戸大地震 御城内外石垣多崩
武家町家共破損相州小田原は余国よりも強民【見消し】家破倒
箱根山崩道路を塞同時所々出火人多死海濱え遁候者は
津浪て死とあり明和八年五月二日江戸地震同六月二日
江戸大地震としるしあれは気の為に動する事なれは何そ
井戸等の論にあるへからす元禄元ゟ安政二に至て百七十年明
和元【(「九」見消し)】年同九十七年になるなり
小川町松平右近
家来之書状【(二行見出し)】
当十三日七つ時小日向御屋敷ゟ御届被下候御手紙拝見仕候
然は当月二日夜四時稀成大地震にて三つ斗震候て
長屋向平潰に相成申候私儀宵ゟ小児与寐入申候故
私安次郎お富儀三人は出候事不叶潰下に相成漸々
掘出され申候先三人共怪我無之併私は少々打身致候得共
格別之儀には無之母子供両人聊怪我無之壱番に母欠出し
二番に歳【幾?】太郎三番におよしかけ出候残り三人は潰下に
相成所々ゟ出火にて漸々三番原迄女子供立退申候私義は
屋敷取締跡ゟ原迄立退漸々七時火留り屋敷え立
帰夫ゟ皆も帰宿いたし候
地震ましない怪我除の哥