東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之14 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之14 - ページ 37

ページ: 37

翻刻

契(ちき)りをきてたれかは春(はる)のはつくさにしのひの岡(おか)の露(つゆ)のしたもえ 尭恵 四国雑記 しのふれ岡(おか)といへる所(ところ)にて松原(まつばら)のありけるかけに 霜(しも)の後(のち)あらはれにけり時雨(しぐれ)を 二王門(にわうもん)          明和(めいわ)九年の回録(くはいろく)に焦土(しやうど)となりて          今礎石(そせき)はらりと存(そん)せり 額(かく)東叡山(とうえいさん)大明院宮公弁法親王真筆(だいみやういんのみやこうへんほうしんわうしんひつ) 柳開山慈眼大師諱(そもくかいさんしかんたいしいえる)は展開南光坊(てんかいなんこうぼうと)号(ごうす)奥州会津郡高田郷(あうしうあいづこおりたかたのごう)の人姓(ひとせい)は三浦氏(みうらし)なり               足利法住院澄(あしらくほふちやういんよしすみ)の子とも 或(あるひ)は蘆名修理古夫盛高(あしるしやうのたいふもりたか)の一族(いちぞく)ともいへり されど