← 前のページ
ページ 42 / 111
次のページ →
翻刻
黒地白浪 後成恩寺入道前関白太政大臣
しら浪は岸の岩根にかゝれとも黒路のはしの名こそかはらね
株瀬皈【帰】帆 八条智仁親王
真帆引て杭瀬をかへる川舟は伊吹の神のちから也けり
一照源精舎の山にある金龍桜といへるは我 祖公摂州古曽部金龍寺
の桜の実植給ふけるか今に栄へけるよし是は所謂古曽部入道か
入相の鐘に花や散らんと読ける桜なるよし御復領の後は
分て人〳〵賞美し春は花見のむしろを開きて
祖公の御みやひを称し奉りぬ一とせ此桜の詩歌をめし給ふける
を巻百十一に記し古曽部より来る法輪寺の書牘を百六十五に
記したれは此巻と合せ見へし詩文の前に漏たるを此に記しぬ
照源寺観桜記 《割書:片山鉄之進|》片山成器
桑名自為侯国己非一姓賢明相承治教相踵二百有餘年于
茲矣治法之存徳澤之遺宜無君無之也而民間移風禮俗
致美以至堤防灌漑興利除害之事語之則惟称我一法
公林丘草木奥曠異常之観訪其古則亦惟称我一法公中
間移封越奥曠其教化者百有餘年民以其久遠而不少
渝如照源寺金龍櫻是其一也及 今公再撫臨経国
之太率由莫遺雖遊観之末亦考之往日而有是遊命諸臣
賦詩相和亦如故事可謂 尊祖敬畏不徒然昔者
周国召公聴訴甘棠之下公去之■【後?】民指其樹而歌詠夫一
聴訟之平政之小者也焉淂民心思慕之深如是顧其所以
【左頁書込み】
《割書:百十一之巻ニ|記セル金龍》
《割書:櫻御遊覧|之記と合セ》
《割書:見ヘシ|》