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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之6 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之6 - ページ 2

ページ: 2

翻刻

【右丁白紙】 【蔵書印】#1 291.36 Sa25. 【左丁】 本牧十二天宮(ほんもく    てんくう) 本牧(ほんもく)の塙(はなわ)にあり真言宗(しんこんしう)多聞院(たもんゐん)別當(へつたう)奉祀(ほうし)  す祭神(さいしん)は十二天(    てん)神躰(しんたい)は海上出現(かいしやうしゆつけん)と云(いふ)尤(もつとも)佳景(かけい)の地(ち)なり神(か)  奈川(なかは)の䑓(たい)より眺望(てうはう)する所(ところ)の絶壁(せつへき)はすなはち此社(このやしろ)の右(みき)の  裏手(うらて)に聳立(しうりふ)する所(ところ)の巨巖(こかん)これなり巖頭(かんとう)数株(すちゆう)の松梅(まつうめ)  鬱蒼(うつそう)として栄茂(えいも)せり《割書:本牧(ほんもく)の地(ち)は小田原北条家(をたはらはうてうけ)の分限帳(ふんけんちやう)に左衛門(さゑもんの)|太夫(たいふ)領(りやう)する由(よし)見えて此地(このち)にて百貫文(ひやくくわんもん)同 橋本(はしもと) 》  《割書:跡(あと)五十貫文(   くわんもん)を|領(りやう)すとあり》 吾妻明神社(あつまみやうしん  ) 同所六町 斗(はかり)南(みなみ)の方(かた)原宿(はらしゆく)といふにあり相傳(あひつた)ふ  天和年間(てんなねんかん)此地(このち)の獵人(かりうと)吉太夫(きちたいふ)といへるもの此(この)海上(かいしやう)に纲(あみ)を投(たう)  して當社(たうしや)の神躰(しんたい)を得(え)たり《割書:木像(もくさう)にして雛(ひいな)の|㒵(かほ)に髣髴(はうふつ)たりと云》依(よつ)て小祠(しやうし)を  営建(えいこん)すと云(いふ)此(この)神躰(しんたい)はもと南總(なんさう)木更津(きさらつ)吾妻明神(あつまみやうしん)の神(かみ)  像(さう)にして浪(なみ)に漂(たゝよ)ひ此地(このち)に止(とゝま)り給ふといふ祭神(さいしん)は人皇(にんわう)十一代  垂仁天皇(すゐにんてんわう)の皇子(わうし)日本武尊(やまとたけみこと)初(はしめ)の御名(みな)をは小碓命(をうすのみこと)と申奉る  武藏(むさし)相模(さかみ)の際(あいた)は尊(みこと)の東征(とうせい)御經過(こけいくわ)の地(ち)たるを以(もつ)て所々(しよ〳〵 )に

現代語訳

【右丁白紙】 【蔵書印】#1 291.36 Sa25. 【左丁】 本牧十二天宮(ほんもくじゅうにてんぐう) 本牧の崖にあり、真言宗多聞院が別当として祭祀している。祭神は十二天で、神体は海上に出現したと言われている。最も美しい景色の場所である。神奈川台から眺望する絶壁は、すなわちこの社の右手の裏に聳え立っている巨岩のことである。岩の頂上には数株の松と梅が鬱蒼として茂っている。《注記:本牧の地は小田原北条家の分限帳に左衛門太夫が領有していると記されており、この地で百貫文、同じく橋本跡で五十貫文を領有するとある》 吾妻明神社(あづまみょうじんしゃ) 同所から六町ほど南の方にある原宿という場所にある。言い伝えによると、天和年間にこの地の猟師である吉太夫という者が、この海上に網を投げて当社の神体を得た。《注記:木像で雛人形の顔に似ていると言う》そのため小さな祠を建てたと言う。この神体はもともと南総木更津の吾妻明神の神像で、波に漂ってこの地に留まったという。祭神は第十一代垂仁天皇の皇子である日本武尊で、初めの御名を小碓命と申し上げる。武蔵と相模の境は尊の東征の際に通過された地であるため、各所に...

英語訳

【Right page blank】 【Library stamp】#1 291.36 Sa25. 【Left page】 Honmoku Twelve Heavenly Kings Shrine (Honmoku Jūni-tengū) Located on the cliffs of Honmoku, it is managed by Tamonin Temple of the Shingon sect as the shrine's administrative temple. The deity enshrined is the Twelve Heavenly Kings, and the sacred body is said to have appeared from the sea. This is a place of most excellent scenic beauty. The precipitous cliff visible from Kanagawa-dai is precisely the massive rock that towers behind and to the right of this shrine. Several pine and plum trees grow luxuriantly on top of the rock. 《Note: The land of Honmoku is recorded in the Odawara Hōjō family's property register as being under the domain of Saemon-no-taiyu, who held 100 kan-mon from this area and 50 kan-mon from the Hashimoto site》 Azuma Myōjin Shrine (Azuma Myōjinsja) Located about six chō south of the same place, in an area called Harashuku. According to tradition, during the Tenna era (1681-1684), a hunter from this area named Kichitaiyu cast his nets into the sea and obtained the sacred body of this shrine. 《Note: It is a wooden statue said to resemble the face of a hina doll》 Therefore, a small shrine was built. This sacred body was originally a divine image from Azuma Myōjin of Kisarazu in Nansō, which drifted on the waves and came to rest at this place. The enshrined deity is Prince Yamato Takeru, son of Emperor Suinin (the 11th emperor), whose original name was Ousu-no-mikoto. Since the border between Musashi and Sagami provinces was the route of the prince's eastern expedition, various locations...