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《割書:明治廿四年|十月廿八日》大地震圖
干時明治廿四年十月廿八日
午前六時 過(すぎ)の地震(じしん)は別(わけ)て
岐阜(ぎふ)名古屋(なごや)大垣(おおがき)地方 劇(はげ)
列(しき)なる地震にて震動(しんどう)おび
たゞしく地(ぢ)裂(さ)け家(いへ)倒(たほ)れ死人 何(なん)
千人 成(なる)か數(かづ)しれず加(くわ)ふるに所々(しよ〳〵)
出火し半身家にしかれ出(いづ)る
ことならす傍(かたわら)より火うつり生(いき)
ながら焼(や)け死したるもあり
又は倒(たほ)れし家に親(おや)は壓死(あつし)し
わづか四五才の小児一人 残(のこ)り死し
たる親に取(とり)すがり泣(なき)きわめ
くありさま目も當(あて)られぬ不便(ふびん)と
いふもおろかなり進行(しんかう)の汽車(きしや)
轉動(てんどう)常(つね)ならず乗客(じやうきゃく)ふしんに
思(おも)ふ折(おり)進行を止(とゞむ)るや否(いな)前後(せんご)
の山 崩(くづ)れて進退(しんたい)する能(あた)わず
乗客(じやうきやく)終日(しゆうじつ)車中に居(ゐ)て食(しよく)を
求(もと)むる事叶わず各(おの)〻(〳〵)【「各」下部の横線を揺すり点と判断しました】下車(おり)し獨(ひ)
歩(とり)にて夫〻へ出 行(ゆき)ける又 近江(あふみ)
の湖水(こすい)は水あふれ之(これ)が為(ため)人 命(めい)
を失(うしな)ひ家(いへ)庫(くら)を押流(おしなが)す名古
屋 電信局(でんしんきよく)并に傍(かたわら)なる旅舎(はたこや)
秋琴楼(しうきんらう)破壊(はくわい)し又一家 残(のこ)
らす生死(せうし)分(わか)らぬもあり負傷(けがにん)者
は或(あるひ)は手を挫(くじ)き足を折(お)り頭(かしら)く
だけ腹(はら)やふるゝなど実(じつ)に筆
に尽(つく)しがたし景況(けいきやう)あらましを
圖す
明治廿四年十一月 日印刷
仝 年十一月 日出版
日本橋区長谷川町十九バンチ
《割書:印刷兼|発行者》 福田熊次郎
梅堂小國政筆