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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之3 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之3 - ページ 52

ページ: 52

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【右丁】  元禄(けんろく)十四年三月十四日/浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみなかのり)吉良上野介義英(きらかうつけのすけよしひて)  を刃傷(にんしやう)に及(およ)ふにより長矩(なかのり)に死(し)を給ふ後(のち)其(その)家(いへ)の長臣(ちやうしん)大石(おほいし)  内蔵助良雄(くらのすけよしを)本國(ほんこく)播州(はんしう)赤穂(あかほ)に在(あり)て君(きみ)の讐(あた)には共(とも)に天(てん)を  戴(いたゝく)へからすと云(いふ)の義(き)により血盟(けつめい)を以(もつ)て同志(とうし)の者(もの)をかた  らひ終(つひ)に元禄(けんろく)十五年十二月十四日/讐家(しうか)に至(いた)り義士(きし)四十  七人/義英(よしひて)の所在(しよさい)を捜(さか)して其(その)首級(しゆきう)を得(え)當寺(たうし)に至(いたつ)て亡(はう)  君(くん)の墓前(ほせん)に祭(まつ)るの後(のち)誅(ちう)を待(まつ)て翌(よく)十六年二月四日/自殺(しさつ)せ  し事は諸書(しよしよ)に詳(つまひらか)なるを以(もつ)てこれを省(はふ)く 歸命山(きみやうさん)如来寺(によらいし) 大日院(たいにちゐん)と号(かう)す泉岳寺(せんかくし)の南(みなみ)に隣(とな)る天台宗(てんたいしう)  にして東叡山(とうえいさん)に属(そく)せり本尊(ほんそん)五智如来(こちによらい)は座像(ささう)各(おの〳〵)一丈あり  《割書:俗(そく)に芝(しは)の|大佛(おほほとけ)と称(しよう)す》木食(もくしき)但唱師(たんしやうし)の彫造(てうさう)なり《割書:但唱(たんしやう)は佛工(ふつこう)にしてもとより|佛躰(ふつたい)を作(つくる)に妙(みやう)を得(え)たり故(ゆゑ)に》  《割書:奇妙佛(きみやうふつ)と号(かう)せり京都(きやうと)鳴滝(なるたき)の五智山(こちさん)に安(あん)する所(ところ)の石像(せきさう)の|五智如来(こちによらい)十三佛(しふさんふつ)等(とう)は但唱(たんしやう)の作(さく)にして并に自(みつから)の像(さう)をも作(つく)れり》但唱(たんしやう)は  摂州(せつしう)有馬郡(ありまこほり)高須村(たかすむら)の産(さん)なり《割書:彼所(かしこ)に霊亀山(れいきさん)興勝寺(こうしようし)と云(いふ)古刹(こせつ)|ありしを再興(さいこう)して本尊(ほんそん)に釈迦(しやか)》 【左丁】  《割書:如来(によらい)及(およ)ひ自(みつから)の像(さう)をも|彫刻(てうこく)し安置(あんち)せり》其(その)母(はゝ)有馬薬師(ありまやくし)に祈請(きしやう)して是(これ)を設(まう)く  三歳(さんさい)にして魚肉(きよにく)を食(しよく)せす九歳(くさい)初(はしめ)て出家(しゆつけ)す年十五に至(いた)り  木食(もくしき)但善(たんせん)の弟子(てし)となり夫(それ)より後(のち)信州(しんしう)檀特山(たんとくせん)に篭(こも)り  百日(ひやくにち)の中(うち)に念佛三昧(ねんふつさんまい)を修得(しゆとく)し向(むかひ)の峯(みね)に三尊(さんそん)の影向(えうかう)を  拝(はい)す同國(とうこく)浅間嶽(あさまかたけ)及(およ)ひ南紀(なんき)の那智山(なちさん)等(とう)に篭(こも)る事(こと)各(おの〳〵)  百日/宛(つゝ)又(また)南海(なんかい)北溟(ほくめい)の間(あひた)を普(あまね)く回(めく)り諸(もろ〳〵)の奇特(きとく)を見(み)る事(こと)  多(おほ)し終(つひ)に江戸(えと)に下(くた)り寛永(くわんえい)十二年/當寺(たうし)を開創(かいさう)し五智如来(こちによらい)  の像(さう)を作(つく)るといふ《割書:三時念佛(さんしねんふつ)の勧(すゝめ)は但善(たんせん)|但唱(たんしやう)二代にして絶(たえ)たり》  臥龍岡(くわりやうのをか) 境内(けいたい)堂前(たうのまへ)北(きた)の岡(をか)を云(いふ)形状(きやうしやう)を以(もつて)号(かう)とす上(うへ)に天満(てんまん)  宮(くう)の祠(やしろ)ある故(ゆゑ)に天神山(てんしんやま)と呼(よ)へり 太子堂(たいしたう) 同所(とうしよ)旭曜山(きよくえうさん)常照寺(しやうせうし)といへる天台宗(てんたいしう)の寺(てら)にあり聖徳(しやうとく)  太子(たいし)の像(さう)は十六/歳(さい)の尊容(そんよう)にして自(みつから)作(つく)り給ふといふ  《割書:元禄年間(けんろくねんかん)開板(かいはん)の江戸鹿子(えとかのこ)といへるものに明暦年間(めいれきねんかん)越後守光長卿(ゑちこのかみみつなかきやう)の|陪臣(はいしん)川木八兵衛(かはきはちひやうゑ)某(それかし)故(ゆゑ)ありて此(この)所(ところ)に安置(あんち)したてまつるとあり》