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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之3 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之3 - ページ 59

ページ: 59

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【右丁】  賽(かへりまうし)すといふ此地(このち)を石神横町(しやくしんよこてう)と字(あさな)するは此社(このやしろ)ある故(ゆゑ)なり  土人(としん)誤(あやま)りておしやもし横町(よこてう)と唱(とな)ふ 佛日山(ふつにちさん)東禅寺(とうせんし) 同所(とうしよ)高輪中町(たかなわなかまち)にあり妙心派(みやうしんは)の禅宗(せんしう)江戸(えと)  四箇寺(しかし)の一(いつ)なり本尊(ほんそん)は釋迦如来(しやかによらい)開山(かいさん)は嶺南和尚(れいなんおしやう)と号(かう)す  《割書:宝鑑國師(はうかんこくし)|と諡(おくりな)す》和尚(おしやう)は日向國(ひうかのくに)飫肥(おひ)の人(ひと)守永氏肥前守祐良(もりなかうちひせんのかみすけよし)の五(こ)  男(なん)なり幼(いとけなき)より佛門(ふつもん)に入(いつ)て後(のち)宗門(しうもん)の大徳(たいとこ)たり《割書:寛永(くわんえい)二十年|癸未七月廿》  《割書:七日/寂(しやく)す|歳(とし)六十二》慶長(けいちやう)の頃(ころ)江戸(えと)に来(きた)り阿左布(あさふ)に一宇(いちう)を闢(ひら)く當寺(たうし)  是(これ)なり《割書:其地(そのち)を今(いま)も|霊南坂(れいなんさか)と云(いふ)》寛永年間(くわんえいねんかん)今(いま)の地(ち)に移(うつ)さる総門(さうもん)は海(うみ)に  臨(のそ)む此門(このもん)の額(かく)海上禅林(かいしやうせんりん)の四大字(したいし)は朝鮮國(てうせんこく)雪峯(せつほう)の筆(ふて)  なり頗(すこふ)る世(よ)に称(しよう)せり  宝鑑録云   敕諡大夫法鑑禅師嶺南和尚大心中興主盟東禅   開闢始祖得法洛西之地撥轉向上機関盛化海東   之邊云云  有喜壽八幡宮(うきすはちまんくう) 寺外(しくわい)右(みき)の方(かた)にあり安泰寺(あんたいし)奉祀(ほうし)す 【左丁】  此地(このち)を有喜壽(うきす)の森(もり)と号(なつ)く《割書:或人(あるひと)云(いふ)古(いにし)へ老樹(らうしゆ)の柊(ひ[ゝ]らき)一株(ひとかふ)ありて|鵜(う)の塒(ねくら)ありしかは鵜樹巣(うきす)とも》  《割書:かくと|いへり》 谷山(やつやま) 今(いま)云(いふ)所(ところ)は品川(しなかは)の入口(いりくち)にありて海(うみ)に臨(のそ)む丘(をか)をさして  しかよへり昔(むかし)は大日山(たいにちさん)と号(なつけ)けるとそ《割書:紫(むらさき)の一本(ひともと)といへる草紙(さうし)に昔(むかし)|此地(このち)に出崎(てさき)ありしとも或(あるひ)は》  《割書:諸侯(しよこう)八人の弟宅(やしき)ありし故(ゆゑ)にしか|唱(とな)ふるといへとも証(しやう)とするにたらす》谷山(やつやま)は邑名(いうめい)にして目黒(めくろ)の南(みなみ)より  袖(そて)ゕ崎(さき)仙臺侯(せんたいこう)別荘(へつさう)の地(ち)の辺(へん)へかけて都(すへ)て谷山村(やつやまむら)なり  此地(このち)に限(かき)るの号(かう)にはあらす《割書:大日山(たいにちさん)とよひしは昔(むかし)此地(このち)に石像(せきさう)の|大日如来(たいにちによらい)立(たゝ)せ給ひし故(ゆゑ)なりとそ》  《割書:後世(こうせい)其堂宇(そのたうう)破壊(はえ)せし頃(ころ)谷山稲荷(やつやまいなり)の地(ち)にうつし又/品川(しなかは)北馬場(きたはゝ)の光厳(くわうけん)|寺(し)へ収(をさ)むるといへと今(いま)は其(その)石像(せきさう)の所在(しよさい)をしらす》