東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 4

絵本写宝袋 9巻 7之巻 - 翻刻

絵本写宝袋 9巻 7之巻 - ページ 10

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【右丁】 【句点と思われる「・」を「。」にす。】   曹操(そう〳〵)横(よこたへて)_レ槊(ほこを)賦(ふす)_レ詩(しを) 魏(ぎの)曹操(そう〳〵)は後漢(ごかん)の末(すへ)の大 名(めう)なりしが。頻(しきり)に軍功(ぐんこう)あつて丞相(せう〴〵) となる。又 呉(ご)の国の大名を孫権(そんけん)と云。是を亡(ほろぼ)さんため。百万の 勢(せい)を引率(いんそつ)し。数(す)万 艘(ざう)の船を拵(こしら)へ大江に浮(うか)め。懸引(かけひき)を調練(てうれん)す。 呉の国には周喩(しうゆ)といふ大将。又 玄(げん)徳の軍■【師ヵ】諸葛孔明(しよかつこうめい)と計(はかりこと)を 合(あは)せ。孔明は風を祈(いの)る。周愈(しうゆ)は火ぜめの用 意(い)せり黄蓋(くはうがい)に狗(く) 肉(にく)の計(はかりこと)を授(さづ)け。曹操(そう〳〵)に降(くだ)らしむ。孔明は風を祈(いの)り荊州へ 戻(もど)り。手分(てわけ)を定(さだ)め曹操と戦(たゝかは)しむ。時(とき)に建安(けんあん)十二年十一月十五日 曹操 大船(たいせん)を赤壁(せきへき)の中央(ちうわう)に浮(うか)べ。自(みづか)ら将台(しやうたい)の上に坐(ざ)す。近侍(きんじ) みな錦繍(きんしう)の袖(そで)をつらね。文 武(ふ)の大将 階級(かいきう)に依(よつ)て悉(こと〳〵)く集(あつま)り しかば。曹操 勇(いさ)み喜(よろこ)び。南 屏(へう)山の月に映(えい)じて画(ゑかく)が如くなるに 酒(さけ)を取て江を奠(まつ)り。三盃 飲(のみ)つくして。槊(ほこ)を横(よこた)へ諸将に向(むかつ)て。 吾此 槊(ほこ)を以て黄巾(くはうきん)の賊(ぞく)を破(やぶ)り。天下の内に縦横(じうわう)す。真(まこと)に 大丈夫の志(こゝろざし)なり。吾今歌を造(つく)らん。汝(なんち)等(ら)是を和(わ)せよとて 【左丁】 一 長篇(ちやうへん)を賦(ふ)せられけるが。終(つい)に打 負(まけ)て。からき命を助りける。 これを赤壁(せきへき)の戦(たゝかい)と云   錦嚢計(きんのふのはかりこと)趙雲(てううん)救(すくふ)_レ主(しゆを) 呉(ご)の孫権(そんけん)周喩(しうゆ)と計(はかり)て。妹(いもうと)と嫁(めあは)せんと偽り劉玄徳(りうげんとく)を招(まね)き 寄(よ)せ。擒(とりこ)にして獄中(ごくちう)に囚(とらへ)置(おき)荊州(けいしう)を取らんと。呂範(りよはん)といふ者を 荊州へ遣(つかは)す。呂範(りよはん)即(すなは)ち荊州に至る。時に孔明(こうめい)が曰。周喩(しうゆ)が計 にて荊州の故(ゆへ)ならん。某(それかし)は屏(べう)風の後(うしろ)に居(ゐ)て聞べし。君(きみ)は対(たい) 面(めん)して客屋(かくや)に留(とめ)置給へ。評議(へうぎ)して返すべしと。扨呂範玄徳 に見(まみ)へ。孫権(そんけん)の妹と配偶(はいぐう)のことを詳(つまびらか)に申す。玄徳の曰。先 客(かく)屋 にて休(やす)み給へ明日事を定んと。其夜 諸(しよ)大将を集(あつ)め議(ぎ)し 給ふ。孔(こう)明 笑(わらつ)て曰。某(それかし)屏風の後にて具(つぶさ)に聞に此事大 吉(きち)也。 許容(きよよう)し給へ。孫権が妹を娶(めと)る時は荊州 危(あやう)きことなし。玄徳心 決(けつ)せず。孔明三ヶ条(でう)の計(はかりこと)を書写し。錦(にしき)の袋(ふくろ)に入て趙雲に 授(さづ)け。同じく五百 余(よ)人の精兵(せいべう)を添(そ)へたり。玄徳 早(はや)船に乗(の)りて