翻刻
【右丁】
◯享和四年甲子春草さうし敵討二人長兵衛馬琴作その巻末に作者曰喜三二金々
先々栄花の夢より草さうしに滑けいを尽したる事廿余年中頃一変してぶしやれとなり
又一変してまじめとなる云々【コマ25にあらすじあり】
〇青本めつけ絵《割書:人の知りたるものに団十郎◦きんひら◦志道軒」◦あり|とあつむ》
此時代までもきんひらの名は高かりき
〇草双紙の事寛延宝暦の頃は多く左の合戦武功の次第或は敵討などの類をつゞり
童児の戯玩なりしを明和安永の頃より世上風俗の淑悪男女の情態をのべたる
編輯多く此草紙大に世に知れ幼稚のみにあらす大人専ら是を弄ひて功拙を
論し云々寬政より此かた山東京伝是を一変せしめ勧徳を旨として多く作れり其
内善玉悪玉のさうし殊に知れたり」以上武江年表巻七
〇赤本の直段は一冊六文づゝ也其後黄表紙の直段は十文つゝ也《割書:予か覚へしは黄表紙三冊もの|三十二文也》
〇三馬が寬政辛酉年の草紙式亭王【三】馬自惚鏡の はじ(本文の)めに「くさ双紙の作者も
古しへは市山清兵へなどゝといふ実名にてやれにげろ〳〵くらいの書入れ也しか文子◦通
幸などゝ俳名になりてより丈阿と云名人なんと子どもしゆがてんか〳〵と云事を
【左丁欄外に続く】
書入れて大
きにおちを
もりて云々
山東京山か天保八年の絵草子琴声女房形気に云
凡今の世に絵草紙と云ものはむかし詞書をそへたる画巻物の余
風也其はしめは天和の頃むかしよりありし短き物語の絵入の草
紙をちいさき本にうつし取て板にほり子供等かみるものにし
たるぞ今の世の絵草紙のはしめ也ける夫より後々次第に工み
をそへむかしより有し草紙にもあらぬ物を作り設けて絵草
紙となしゝが夫もむかし有しいくさの事なとをむねとして作れり
夫より後に至りて正徳享保の頃近藤助五郎清春と云し者
近きむかししもざまに有し事に事をそへて作り出しはしめて絵
草紙に画かきの名をしるせりこの清春か絵草紙は作も清春
なれど作の名はしるせる物なし天和より此頃までの絵草紙は
一冊物又は二冊上下としその代銭十文には足らざりしとぞかく
て安永の末より天明の頃に至りて絵草紙の画も作も上手
の人々出たる故絵草紙大にはやりて其さま昔にまさりて工みに
なれる上手の人々は画かきにしげ政 とよ春 春章 清長
作には春町 好町 通笑 全交 喜三二など也京伝も此かすに