「会津若松市デジタルアーカイブ」公開資料を翻刻

コレクション: 諸士系譜

諸士系譜 巻之122 よ之部5 - 翻刻

諸士系譜 巻之122 よ之部5 - ページ 54

ページ: 54

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  藤田之城を預り罷在其後大老ニ昇進仕   天正十年七月七日信濃国旗頭滝川   左近将監一益近国之兵壱万計を相   随ひ信州臼井岳江打出武州那麻山江   陣を取候節氏邦君御出馬有之   小田原鉢形之軍勢都合弐万余騎   野中河原ニ陣を取先陣質高美濃   守并子息越前守大仏野中河原両   所之合戦敗軍ニ及候へとも氏邦君   御本陣を以切崩し其節弥四郎   儀武者大将萩原備前守津久井参河守   富永勘解由左衛門吉田内蔵允一同弐   千余騎を引率いたし津不羅多越シ   を懸け敵之後江出鉄炮を打懸け検   を入候得ハ一益始ハ勝利有之といへ共   前後氏政君斬崩され那麻山を引   退き信州江敗走いたし候其後氏   政君武威ニ御預り太閤之御招有之   候得とも一向御承引なく候ニ付太閤   又々木下下野守を以降参を被催候