「会津若松市デジタルアーカイブ」公開資料を翻刻

コレクション: 諸士系譜

諸士系譜 巻之122 よ之部5 - 翻刻

諸士系譜 巻之122 よ之部5 - ページ 59

ページ: 59

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  会稽之和辱御雪可有之ため雪中   之砌かんしきを懸高山を御越長尾之   館御到着被成産【ママ】右衛門を被為召是迄   遙之供いたし候条忠義言葉難   述他日我等北条を責候節必参り   忠義可致恩賞ハ其節重く可   報是ハ当産之引出ものなりとて   鞍置馬被下置候家紋輿を相用   候由《割書:是は氏綱と御合戦之時輿を紋ニ附|先陣可仕御趣意と相聞申候》一同御供   いたし候士《割書:姓名|不詳》も同様之仰在之両   人ともニ本国江罷帰武州鉢形之   城主北条氏邦公江鉾形之城ハ半沢   郡藤田庄之内百貫文地《割書:七千|石余》被下置   被召出候是より軍忠を尽し相勤   数年之後病死仕候《割書:卒日法名葬所|并妻氏等不詳候》嫡   子内蔵允某妻ハ同姓内藤弥四郎   繁昌か妹初上杉憲政公之旗本ニて   候処上杉社稷傾候後北条氏邦江奉   仕父之遺跡相続仕氏邦君岐阜御   会戦之砌後殿之働仕甲斐信玄と