翻刻
【右帖】
客来ツて叱つて曰ク
足下の細画委きに
過たり故にゑにあらずと
譏る人多し改ルにしかじ
答て智者は其智に誇る
業等閑にして文雅を
礼としあるは流行を常
として智を以て世に鳴ル
わざ鈍キは老て下タる事
速なり幸に天我をして
遇ならしむ剩文盲にして
古法に縄セられず去年
を悔ヒきのふをはぢひとり
塞翁が馬に鞭うつて
此道に走る事をほしひ
まゝにす齢八旬にちかしと
いへど眼気筆力壮年に
かわらず百歳の命を
保チて独立のこゝろざしを
じやうじゆせん事を思ふ
是客も命あらば老人が
言の違ざるを見給ふべし
客いかつて帰る不学者の
論一笑に備ふ而已
【左帖】
齢七十七《割書:前北斎為一改》画狂老人卍筆【印】
剞劂 江川留吉【印=五常亭】
《割書:諸識|画本》葛飾新鄙形(かつしかしんひながた)《割書:出来|発兌》《割書:界方木(ひじやうき)に馴(な)れさる初心(しよしん)の人〳〵の|為(ため)に其(その)大体(たいてい)を略(りやく)すのみ余(よ)は冊々(さつ〳〵)|を操返(くりかへ)して自得(じとく)し給ふべし》
同 中編《割書:初編目録(しよへんもくろく)に漏(もれ)たるを著(あらは)し猶(なほ)つくさざる後(のち)の巻(まき)に画(ゑが)く|画(ぐわ)を学(まな)ぶの外(ほか)諸細工(しよさいく)の一助(いちじよ)とならん事を要(えう)すされば|宮殿堂塔(きうでんだうたふ)の外 数々(しば〳〵)の形像(けいぞう)を写(うつ)すものなり》
同 下編《割書:前の二冊は初学(しよかく)の■安(いりやす)きのみを専(もつは)らにす三 編(へん)に至(いたつ)て|良(やゝ)往昔(わうせき)より写(うつ)しがたきむづかしき形(かた)入組(いりくみ)たるを著(あらは)す|桟(さん)船(セん)水車(すゐしや)器材(きざい)等 人物(じんぶつ)鳥獣虫魚(でうじうちうぎよ)に至(いた)る迄を図(づ)する也》
新鄙形続編(しんひながたぞくへん)《割書:見馴(みなれ)ざる上世(じやうせい)の製作(セいさく)偶(たま)〳〵存在(そんざい)するといへとも層(そう)〳〵たる|徑路(けいろ)或(あるひ)は険岨(けんそ)にして雅地(がち)にあらざれば風流(ふうりう)の遊客(ゆふかく)は|さら也 旅人(りよじん)も爰(こゝ)に入事 稀(まれ)なるべしと其(その)珍(めづら)しきを出(いだ)すのみ》