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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之13 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之13 - ページ 61

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【右丁】  額(がく)《割書:円通殿|》根嶺(こんれい)大伝法院(たいでんはふゐん)僧正(そうしやう)八十八 翁(をう)筆(ふで)  影向(えうがう)加地水(かぢすゐ)西谷(にしたに)にあり《割書:往古(そのかみ)弘法(こうはふ)大師(たいし)一夏(いちげ)の間(あひだ)一千座(いつせんざ)の護摩供(ごまく)修行(しゆぎやう)なし給ふ|とき神龍(しんりよう)の瑞(ずゐ)によりて其地(そのち)に清泉(せいせん)を求得(もとめえ)給ふしか》  《割書:ありしより千歳(せんさい)の今(いま)に至(いた)りて其(その)霊泉(れいせん)旱魃(かんはつ)にも涸(かる)る事なしといへり一時(あるとき)有信(うしん)の人 此(この)水中(すゐちゆう)を臨(のぞ)み観(み)て|大悲(だいひ)の尊影(そんえう)を拝(はい)しける事ありしより影向(えうがう)の号(な)ありといふ此(この)井水を服(ふく)して病(やまひ)を痊(いやす)もの少(すくな)からずとなり》  琵琶島(びはしま)弁財天(べんざいてん)祠《割書:千手谷(せんじゆたに)の東(ひがし)口の池(いけ)の中洲(なかす)にあり琵琶(びは)の形(かたち)なる故(ゆゑ)に号(がう)とす|宝暦(ほうれき)己卯 夏(なつ)当寺(たうじ)亮盛(りやうせい)師人をして池(いけ)を浚(さら)はしめ泥中(でいちゆう)より》  《割書:二基(にき)の石碑(せきひ)を探(さぐ)り得(え)たりとなり碑面(ひめん)弁財天(べんざいてん)の字(じ)及(およ)び年号(ねんがう)を銘(めい)す一は文安(もんあん)五年|己巳一は貞治(ていち)二年癸卯とあり》  二王門額(にわうもんがく)《割書:吾菴山|》筑波山(つくはさん)前(さきの)護持院(ごぢゐん)八十八 翁(をう)権僧正(ごんそうじやう)光星(くわうせい)筆(ふで)  縁起(えむぎ)曰(いはく)往古(そのかみ)聖武(しやうむ)天皇(てんわう)の勅願(ちよくぐわん)によりて行基(ぎやうぎ)大士(たいし)諸国(しよこく)遊化(いうけ)の砌(みぎり)此(この)  地(ち)に至(いた)り給ふに日(ひ)既(すで)に暮(くれ)ぬ仍(よつて)樹林(しゆりん)の下(もと)に錫(しやく)を掛(かけ)通夜(つや)誦経(じゆきやう)禅観(ぜんくわん)す  深更(しんかう)に逮(およ)むで林間(りんかん)に千手(せんじゆ)陀羅尼(だらに)を誦(じゆ)する声(こゑ)あり大士(だいし)奇異(きい)の  思(おも)ひをなし其辺(そのあたり)を求(もと)め給ふに異香(いかう)熏(くん)し霊光(れいくわう)赫奕(かくやく)として樹上(じゆしやう)に  輝(かゝや)き千手(せんじゆ)大悲(だいひ)の聖容(せいよう)忽然(こつぜん)として影向(えうがう)なし給ふ則(すなはち)暁(あかつき)を待(まち)て彼(かの)  霊樹(れいじゆ)を伐(きり)てその拝(はい)する所(ところ)の尊影(そんえう)を模刻(もこく)し永(なが)く度生(としやう)のため  こゝに安置(あんち)せらる《割書:此地(このところ)を千手谷(せんしゆたに)|と号(なつく)るは此故(このゆゑ)也》其後(そのゝち)弘仁(こうにん)年間(ねんかん)弘法(こうはふ)大師(たいし)羽州(うしう)湯殿山(ゆどのさん)に 【左丁】  行(ゆか)むとせしてき途(みち)にして此地(このち)によぎり給ふ然(しか)るに一人の老翁(らうをう)来(きた)り告(つげ)て  曰(いは)く此(この)山中(さんちゆう)に行基(ぎやうき)大士(たいし)作(つく)る所(ところ)の大悲(たいひ)の霊像(れいざう)ありといへども人 其(その)霊(れい)  ある事をしらず我(われ)大徳(たいとこ)の此地(このところ)に至(いた)るを待(まて)り遄(すみやか)に堂宇(たうう)を営(いとな)めよと  云て後(のち)其(その)翁(をきな)が行方(ゆくへ)をしらず《割書:此(この)老翁(らうをう)を地主(ちしゆ)権現(ごんげん)と|称(しよう)して今猶(いまなほ)山中(さんちゆう)にあり》依(よつて)大師(たいし)山中(さんちゆう)に入て  求(もとめ)給ふにはたして翁(をきな)が告(つげ)たる所(ところ)の千手(せんしゆ)大悲(たいひ)の像(ざう)及(およ)び脇士(けふし)多聞(たもん)  不動(ふどう)等(とう)の二 尊(そん)をも感得(かんとく)なし給ひ一 宇(う)の草堂(さうだう)を建立(こんりふ)す《割書:当寺(たうじ)の権(はじ)|輿(め)是(これ)なり》  其後(そのゝち)弘安(こうあん)年間(ねんかん)国中(こくちゆう)大(おほい)に疫癘(えきれい)流行(りうかう)し死(し)に至(いた)る者(もの)少(すくな)からず時(とき)に一人の  老僧(らうそう)ありて家(いへ)毎(ごと)に至(いた)り告(つげ)て曰(いは)く吾(わが)菴(いほり)に尊(たふと)き大悲(たいひ)の尊像(そんざう)たゝせ  給へり来(きた)り祈(いの)る輩(ともがら)は病患(びやうくわん)悉(こと〴〵)く免(まぬか)るべし又 吾(わが)菴(いほり)をしらんならば  深夜(しんや)山中(さんちゆう)光(ひか)りある地(ところ)に至(いた)るべしと云々 里民(りみん)其(その)教(をしへ)にしたがひ夜光(やくわう)を  標(しるべ)に此地(このところ)に至(いた)り此 霊像(れいざう)を拝(はい)し奉りて病(やまひ)を祈(いの)り大(おほい)に霊験(れいけん)を得(え)て  歓喜(くわんき)踊躍(やうやく)し諸人(しよにん)日夜(にちや)絶(たえ)ず《割書:老僧(らうそう)の言語(げんぎよ)に就(つい)て山(やま)を吾菴(ごあん)と号(なつ)け大師(たいし)|修禅(しゆぜん)の地(ち)を金剛(こんかう)乗崛(しやうくつ)と称(しよう)せしを以(もつ)て金乗(こんじやう)》  《割書:院(ゐん)と号(なつ)く光明(くわうみやう)を放(はなち)たる|地(ち)は山口の千手堂(せんしゆたう)なり》又 元弘(げんこう)三年癸酉の五月は新田(につた)左中将(さちゆうしやう)義貞(よしさだ)朝臣(あそん)