翻刻
【右丁 挿絵】
南傳馬町(みなみてんまちやう)
祇園會(きをんゑ)
御旅所(おたひしよ)
【左丁】
市(いち)を立(たて)し所(ところ)なりとそ故(ゆゑ)に今(いま)も其(その)遺風(ゐふう)にて草物(くさもの)又は野菜(やさい)の
類(たく)ひ其(その)余(よ)乾魚(ひうを)なとの市(いち)ありて繁昌(はんしやう)の地(ち)なり此地(このち)に根津(ねつ)
権現(こんけん)の御旅所(おたひしよ)あり《割書:正徳(しやうとく)年中(ねんちゆう)に造(さう)|営(えい)ありとそ》同所/河岸(かし)に傍(そひ)て封疆蔵(とてくら)
あり下(した)より石(いし)を以(もつ)て畳揚(たゝみあけ)上に家根(やね)を覆(おほ)ふ《割書:明暦(めいりやく)開板(かいはん)のむさしにあふ|みといへる草紙(さうし)に日本(にほん)》
《割書:橋(はし)の南(みなみ)萬町(よろつちやう)より四日市迄(よつかいちまて)の町屋(まちや)を取除(とりの)け高(たか)さ四/間(けん)に川端(かははた)にそふて|北(きた)をうけ東西(とうさい)二町/半(はん)に土手蔵(とてくら)を畳(たゝみ)あけらると云々/今(いま)霊岸島(れいかんしま)【灵は略字】に四日市(よつかいち)と》
《割書:いへる町家(まちや)あるは此所(このところ)|より引(ひき)たるなり》
祇園會旅所(きおんゑたひしよ) 南傳馬町(みなみてんまちやう)一丁目と二丁目の間(あひた)の辻(つし)にあり本社(ほんしや)は神田(かんた)
明神(みやうしん)の地(ち)にあり祭所(まつるところ)素盞嗚尊(すさのをのみこと)にして是(これ)を大政所(おほまんところ)と称(しよう)せり
毎年六月七日こゝに神幸(しんかう)ありて同十四日/帰輿(きよ)し奉(たてまつ)る其(その)間(あひた)参詣(さんけい)
多(おほ)く甚(はなはた)にきはへり
鎧(よろひ)の渡(わたし) 茅場町(かやはちやう)牧野家(まきのけ)の後(うしろ)を云(いふ)此所(このところ)より小網町(こあみちやう)への舟渡(ふなわたし)を
しか唱(とな)へたり往古(わうこ)は大江(たいかう)なりしとなり里諺(りけん)に云/永承年間(えいしやうねんかん)源(みなもとの)
義家朝臣(よしいへあそん)奥州征伐(あうしうせいはつ)の時(とき)此所(このところ)より下総國(しもふさのくに)に渡(わた)らんとす時(とき)に