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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之2 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之2 - ページ 27

ページ: 27

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 蘐(くわん)は萱(かや)と同し字義(しき)なれは称(しよう)せられしなりよつて此地(このち)に住(ちゆう)せ  られし事(こと)知(し)るへし 伊雑(いそへ)太神宮(たいしんくう) 北八町堀(きたはつちやうほり)松屋橋(まつやはし)より一町はかり艮(うしとら)の方(かた)塗師町(ぬしちやう)代地(たいち)  町屋(まちや)の間(あひた)にあり《割書:當社(たうしや)ある故(ゆゑ)に此所(このところ)を字(あさな)|して磯辺(いそへ)横町(よこちやう)と呼(よ)へり》土俗(とそく)磯辺(いそへ)太神宮(たいしんくう)といふ  伊雑(いそへ)の御神(おんかみ)は天照皇太子神宮(てんしやうくわうたいしんくう)の別宮(へつくう)にして祭神(さいしん)は伊佐波登(いさはと)  美命(みのみこと)と玉柱屋姫命(たまはしらやひめのみこと)二座(にさ)なり寛永(くわんえい)元年甲子/伊勢長官(いせちやうくわん)出口(てくち)  市正(いちのかみ)某(それかし)伊雑宮(いそへのみや)より移(うつ)しまゐらせ通(とほり)三丁目に宮社(きうしや)を営(いとな)めり  《割書:今(いま)神明長屋(しんめいなかや)と|唱(とな)ふるは則(すなはち)是(これ)也》同十年癸酉/今(いま)の地(ち)へ移(うつ)し奉(たてまつ)るといへり例祭(れいさい)は  六月廿六日に修行(しゆきやう)す 《振り仮名:三ッ橋|み   はし》 一ッ所に橋(はし)を三所/架(わた)せし故(ゆゑ)にしか呼(よへ)り北八町堀(きた    ほり)より本材木(ほんさいもく)  町(ちやう)八丁目へ渡(わた)るを弾正橋(たんしやうはし)と呼(よ)ひ《割書:寛永(くわんえい)の頃(ころ)今(いま)の松屋町(まつやちやう)の角(すみ)に島田(しまた)|弾正少弼(たんしやうのせうひつ)やしきありし故(ゆゑ)といふ》本(ほん)  材木町(さいもくちやう)より白魚屋鋪(しらうをやしき)へ渡(わた)るを《振り仮名:牛の草橋|うし  くさはし》といふ又/白魚屋敷(しらうをやしき)より  南八町堀(みなみ   ほり)へ架(か)するを真福寺橋(しんふくしはし)と号(なつ)くるなり 【左丁】 霊巌島(れいかんしま) 箱崎(はこさき)の南(みなみ)にあり《割書:町数(ちやうすう)今十八|町/斗(はかり)あり》昔(むかし)雄誉(いうよ)霊巖和尚(れいかんおしやう)此地(このち)の海(かい)  汀(てい)を築立(つきたて)て梵宮(ほんくう)を営(いとなみ)て霊巖寺(れいかんし)と号(なつ)く《割書:依(よつ)て後世(こうせい)霊巖島(れいかんしま)といふ|地名(ちめい)起(おこ)れり初(はしめ)は江戸(ゑと)の中(なか)》  《割書:島(しま)とよひしとなり東海道名所記(とうかいたうめいしよき)にれいかん島(しま)も江戸(えと)の|地(ち)をはなれて東(ひかし)の海中(かいちゆう)へ築出(つきいた)したる島(しま)なりと云云》後世(こうせい)寺(てら)を深川(ふかゝは)へ移(うつ)  されて其跡(そのあと)を町家(まちや)となし給ふといへり故(ゆゑ)に此地(このところ)の北(きた)の通(とほ)りより  茅場町(かやはちやう)へ渡(わた)る橋(はし)を霊岸橋(れいかんはし)と号(なつ)けたり 随見屋鋪(すゐけんやしき) 同所/新川(しんかは)一の橋(はし)の北詰(きたつめ)塩町(しほちやう)の辺(へん)其(その)舊地(きうち)なりといへり  《割書:此所(このところ)に瀬戸物屋(せとものや)多(おほ)く住(ちゆう)せり故(ゆゑ)に茶碗(ちやわん)|鉢店(はちたな)とも号(なつ)く或(あるひは)随見長屋(すゐけんなかや)ともよへり》川村随見(かはむらすゐけん)は諸国(しよこく)の水土(すゐと)を考(かんか)ふ  るに精(くは)しふして大(おほい)に世(よ)に勲功(くんこう)あり海(うみ)を築(きつ)き川(かは)を堀(ほり)田畑(たはた)を開(かい)  發(はつ)す河内國(かはちのくに)の水(みつ)を落(おと)さんとして摂泉(せつせん)の堺(さかい)に大和川(やまとかは)を堀(ほり)淀(よと)  川(かは)の溢(あふるゝ)を治(をさめ)んとして大坂(おほさか)に安治川(あちかは)を鑿(ほり)《割書:随見(すゐけん)自(みつか)らの実名(しつみやう)を安治(やすはる)と|いふ音(おん)に呼(よひ)て安治川(あちかは)と云とそ》  其(その)土砂(としや)を以(もつ)て川下(かはしも)に新(あらた)に山(やま)を築(きつ)き洪水(こうすゐ)の時(とき)高波(たかなみ)を防(ふせき)除(のそ)かむ  為(ため)を専(もつは)らとし且(かつ)沖(おき)よりの目當(めあて)とす《割書:世(よ)に随見山(すゐけんやま)と称(しよう)せり|本名(ほんみやう)は波除山(なみよけやま)といへり》其餘(そのよ)の功(こう)  最(もつとも)少(すくな)からす《割書:菊岡沾涼(きくをかせんりやう)云く川村随見(かはむらすゐけん)は|御幕下(おんはくか)川村氏(かはむらうち)の始祖(しそ)なりと云々》