翻刻
【右丁】
伊勢太神宮(いせたいしんくう) 同所/四日市町(よつかいちまち)にあり此地(このち)の産土神(うふすな)とす《割書:此所(このところ)を俗間(そくかん)に新川(しんかは)と|唱(とな)ふ酒問屋(さけとひや)多(おほ)く》
《割書:ありて繁(はん)|昌(しやう)の地(ち)なり》伊勢(いせ)内外(ないけ)両(りやう)皇太神宮(くわうたいしんくう)を勧請(くわんしやう)し奉(たてまつ)り遥拝所(えうはいしよ)とす遷(せん)
宮(くう)伊勢(いせ)と同年(とうねん)なり《割書:江戸鹿子(えとかのこ)には寛永(くわんえい)|中(ちゆう)草剏(さうさう)とあり》伊勢内宮(いせないくう)の社僧(しやそう)慶光院(けくわうゐん)比(ひ)
丘尼(くに)江戸(えと)参府(さんふ)の折柄(をりから)旅亭(りよてい)の儲(まうけ)の為(ため)に此地(このち)を給ふとそ《割書:慶光院(けいくわうゐん)伊勢(いせ)|上人は格式(かくしき)》
《割書:御門跡(こもんせき)並(なみ)に比(ひ)せられ紫衣(しえ)を賜(たま)はりて御朱印地(こしゆゐんち)なり始祖(しそ)の比丘尼(ひくに)は内宮(ないくう)建立(こんりふ)の時(とき)|より連綿(れんめん)として社僧(しやそう)たり依(よつ)て内宮(ないくう)の御師(おんし)山本太夫(やまもとたいふ)は始祖(しそ)慶光院(けくわうゐん)の子孫(しそん)なる故に|今(いま)も彼寺(かのてら)の住持(ちゆうち)比丘尼(ひくに)は代々この家(いへ)より嗣(つき)侍(はへ)るとなり》
《割書:按(あんする)に明暦(めいれき)の江戸繪図(えとゑつ)に今(いま)所謂(いはゆる)三の御丸(おんまる)の地(ち)に伊勢(いせ)上人の屋鋪(やしき)としるせし所あり|此(この)上人の旅宿(りよしゆく)なるへし後(のち)に此所(このところ)へ遷(うつ)させられしならん》
《割書:年山紀聞云》
《割書:永禄元年日記《割書:記者|不詳》後 ̄ノ六月三日中山亜相《割書:神官ノ|傳奏》被_レ談云 ̄ク去月廿三日神官《割書:外|宮》|上棟無事 ̄ニ令_二沙汰_一之由注進有_レ之或比丘尼号_二 上人_一《割書:先皇 ̄ノ御代被_レ 下_二 上人 ̄ノ|号_一女房初例歟》名 ̄ハ■号_二|慶光院 ̄ト_一以_二諸国勧進之力_一此上棟取 ̄リ立 ̄ル者也内々又内宮 ̄ノ上棟存立 ̄ト云云雖_二|不相應之事_一末世如_レ此之儀神恵有_二子細_一歟不_二測知_一事也》
永代橋(えいたいはし) 箱崎(はこさき)より深川(ふかかは)佐賀町(さかちやう)に掛(かく)る元禄(けんろく)十一年戊寅/始(はしめ)て是(これ)を
架(か)せしめらる永代島(えいたいしま)に架(わた)す故(ゆゑ)に名(な)とす長(なかさ)凡(およそ)百十間/餘(よ)あり此所(このところ)は
諸国(しよこく)への廻船(くわいせん)輻湊(ふくそう)の要津(えうしん)たる故(ゆゑ)に橋上(きやうしやう)至(いたつ)て高(たか)し《割書:此橋(このはし)のかゝら|さりし已前(いせん)は》
《割書:深川(ふかかは)の大渡(おほわた)りとて|舩渡(ふなわた)しなりといふ》東南(とうなん)は蒼海(さうかい)にして房総(はうさう)の翠巒(すゐらん)斜(なゝめ)に開(ひら)け芙(ふ)
【左丁】
蓉(よう)の白峯(はくほう)は大城(たいしやう)の西(にし)に峙(そはたち)筑波(つくは)の遠嶺(ゑんれい)は墨水(ほくすゐ)に臨(のそ)むて朦朧(もうろう)たり
台嶺金龍(たいれいきんりう)の宝閣(はうかく)は緑樹(りよくしゆ)の蔭(かけ)に見(み)えかくれて自(おのつから)丹青(たんせい)を施(ほとこ)すに
似(に)て風光(ふうくわう)さなから画中(くわちゆう)にあるかことし
薬師堂(やくしたう) 霊巖島(れいかんしま)銀町(しろかねちやう)にあり別當(へつたう)は真言宗(しんこんしう)にして医王山(ゐわうさん)圓覚寺(ゑんかくし)
と号(かう)す本尊(ほんそん)は三州(さんしう)鳳来寺(ほうらいし)峰(みね)の薬師(やくし)と同木同作(とうほくとうさく)にして《割書:理趣仙人(りしゆせんにん)|刻(こく)する所(ところ)也》
大宝年間(たいはうねんかん)に造立(さうりふ)ありしとなり《割書:座像(ささう)御丈(みたけ)三尺あり鳳来寺薬師(ほうらいしやくし)|と称(しよう)し又は橋本薬師(はしもとやくし)とも称(しよう)せり》此霊(このれい)
像(さう)はもと高野山(かうやさん)橋本(はしもと)の里(さと)にありしを慶長年間(けいちやうねんかん)當寺(たうし)の開基(かいき)
恵生(ゑしやう)阿闍梨(あしやり)此地(このち)に遷(うつし)奉(たてまつ)り後(のち)霊巖寺(れいかんし)の境内(けいたい)に安(あん)す《割書:深川(ふかかは)霊(れい)|巖寺(かんし)の》
《割書:事(こと)なり彼寺(かのてら)始(はしめ)|此地(このち)にあり》萬治(まんち)の後(のち)霊巖寺(れいかんし)深川(ふかかは)にうつる其頃(そのころ)此(この)薬師堂(やくしたう)と
稲荷(いなり)の社(やしろ)のみは此地(このち)に残(のこ)しとゝめらるゝといへり
橋本稲荷社(はしもといなりのやしろ) 同(おなし)境内(けいたい)にあり此所(このところ)の鎮守(ちんしゅ)とす社記云(しやきにいはく)神像(しんさう)は弘法(こうほふ)
大師(たいし)の作(さく)にして《割書:御丈(みたけ)一尺|二寸あり》山城國(やましろのくに)伏見稲荷明神(ふしみいなりみやうしん)と同木同作(とうほくとうさく)なりと
いへり往古(そのかみ)高野山(かうやさん)の麓(ふもと)橋本(はしもと)の里(さと)に宮居(みやゐ)を造(つく)りて安置(あんち)ありしか